Abuto-Kannon Temple 阿伏兎観音おっぱい観音寺とも呼ばれていて、有名

 

 

国内、外、何人の方々を案内したかは覚えてない程地元では一番多く足を運んだ所かも知れない

 

福山市には30年近く、沼隈と田島を合わせると住んでいますが、友人や身内が訪れると必ず連れていきます、阿伏兎観音(あぶとかんのん)と磐台寺観音堂(ばんだいじかんおんどう)おっぱい観音堂とも呼ばれてます

 

 

 

こちらでお世話になっていた画廊のオ-ナ-と赤ちゃんが出来ない従業員の為に祈祷(きとう)していただいた

 

住職は次男の同級生のお父様

覚える気のないえかきのつまはいつもお寺の方に説明を任せて、無責任です

 

 

 

 

鯉の池から見る阿伏兎観音 阿伏兎観音のウバメガシ

 

訪れた回数から言えばとっくにすらすら説明が出来ないといけないのですが、毛利さんお許しください

 

思い出を語り始めると切りがない、写真を見ていても沢山ありすぎてどれをアップしょうか迷ってしまうほど

能登原地区へ引っ越してきて初めて訪れた阿伏兎観音へは忘れられない出来事があります

阿伏兎山から観音へ降りてしまい、出るには入り口からとなり、その頃住職のお父様に叱られ、お金を持ち合わせてなかったので、家まで取りに帰ったことを脳裏によみがえる

人との出会いは本当に様々だと実感する

 

断崖岬の上に建つ阿伏兎観音

 

沼隈へ越してきた時に友人が倉敷より持ってきてくださった古いタンスの引き戸に描く

 

 

サンフランシスコからの親子と

 

 

 

 

アルゼンチンから来た甥夫婦

 

 

ちょっと変わった構図の阿伏兎観音

 

 

えかきとある民泊の生徒たちと

 

 

海外からの民泊生徒たちと

 

 

George&Sabina

 

阿伏兎観音のこの構図が一般的で、好きです

 

沼隈半島の南端、阿伏兎岬の突端に鎮座する臨済宗のお寺です。透明な海の輝きと荒々しい岩肌に不思議と調和した朱塗りの観音堂は、瀬戸内海の中でも特に素晴らしい景観として広く知られています。この観音堂は毛利輝元によって創建されたもので、国の重要文化財に指定されています。昔から、航海の安全や子授け・安産の祈願所としても有名です。

長い階段を上がると観音へ、そしておっぱい堂に背を向けて座るのが最高です

罰が当たる?かも知れませんがとっても気持ちが良く、ここで呑み助の絵かきは言う、酒がここで飲めたら❓最高だ~そよ風に吹かれ、天気の良い日は四国山脈を眺めながら、鮮度抜群の島の魚をおつまみに、

のどかで、偶に行きかう船

座って右側の海の向こうには箱崎という地域が見渡せ、つまは海苔シ-ズンには工場へ仕事へ行ってます

冬の季節にはマルコ水産から阿伏兎とを休憩時間には眺めています

 

新婚の甥夫婦

 

なぜかこの朱色好きです
アメリカの友人親子

 

えかきと民泊の海外のこどもたち

 

 

遠くを見れば四国ですが、下を見れば絶壁

 

何回訪れても飽きないこの場所、阿伏兎観音

 

興味深く覗くファビ、大笑いしているシル

 

子供達も大喜びする

 

 

床が雨が流れるように斜めっているので怖がる方も多い、腰を抜かすとまで言わないが、怖がりではない絵描きの妻は見ててクスッと笑ってしまう、ごめんなさい

 

 

箱崎方面から見渡せる阿伏兎観音

 

観音を下って、左へ曲がりもっと下ると阿伏兎観音が良く眺められる場所へ

絵描きの妻は写真を撮るのが好きだからこの角度から数多くの阿伏兎観音の写真がある、思い出が一杯

 

 

阿伏兎観音内ではないけれど、マテを持って行って飲みながらアルゼンチン風に楽しんだことも

 

 

  阿伏兎観音の歴史

 

阿伏兎観音歴史寺伝によると、平安時代の寛和2年(986年)に花山法皇が瀬戸内海を行き来する船の航海安全を祈願し、阿伏兎岬の断崖の上に十一面観音菩薩石像を置いて祭ったことが始まりとされています
ひろしま文化大百科 ひろしまの魅力再発見より
沼隈半島の南端阿伏兎岬にある国重要文化財、磐台寺(ばんだいじ)観音堂にまつられている観音を阿伏兎観音と呼ぶが、それがお堂の通称となっている。この付近の海岸は断崖になっており、ウバメガシの群落がよく発達している。特に観音の北西側には大木があり、最大のものは、目通り幹囲3.1メートル、樹高約11メートル、枝張り東西17メートル、南北8メートルもある。この木は、県天然記念物「忠海のウバメガシ樹叢」中の最大木(胸高幹囲2メートル)を凌いでいる。沼隈町の海岸一帯に多いウバメガシは、その木の剛気と気宇を思わす姿と、昔からこの地方の人々に親しまれてきた、、、
   阿伏兎観音と共に生きてきたように思う、思い出一杯に人生を飾ってくれたような気がする
   阿伏兎観音の夏には花火に灯篭流しがある
灯篭を毎年流して下さっている阿伏兎は母を思い出し、父を思い出し、兄を思い出し、そして国内外の友人、身内や民泊の子供達も心の片隅に焼き付いている
   ある友人から叱られたことがある、阿伏兎観音とは限らず、京都であれ、笠岡であれ、どこのお寺でもどちらかというと頂くことが多い
   お前な~お寺という所には持っていくのであって、もらう所ではないと
   えかきのつまを可哀そうに思って下っているのでしょうか?  どう思って下さっても感謝の気持ちで一杯です。

いっしゅく-いっぱん【一宿一飯】 ちょっとした世話になること

 

小川マリアイネス拝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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