あの世へ両親が行ったら里は港から出航時に眺める景色が段々消える様

人生の半分以上日本に住んでいる

生まれ育ちはアルゼンチンだけれど、最近とっても遠い国に思えるのはなぜでしょう?

京都市から帰国してプエルトリ-コと言う小さな町に住んだことがある、多分1900年初頭築の家に

プエルトリ-コには母校もあり、初に勤めた市役所も銀行も

懐かしい場所である

最近妹の電話で知った、その家は古く、解体して更地にしたと伝えられた時には、胸がグ~と押さえつけられる様な、家族で過ごした日々が消えていくようななんとも寂しい気持ちに見舞われた

 

えかきが継ぎ足した部分があり1900年頃、昔建てられた面影あまりないが

 

えかきと二人で造ったテニス場は店舗に

 

家の前が新しい建物の母校

 

 

カトリック教会も家から歩いて何分?

 

Lluvia de oro (黄金の雨)と地元の人は読んでいる 町全体に咲き乱れ、美しい黄色に染まる

 

三年程の短い期間でしたが、走馬灯のように頭の中を駆け巡るあれやこれや

 

 

プエルトリ-コの教会
油彩
小川憲一豊実描く

 

えかきと二人でテニスコ-トを作っていると通りがかりの人たちは妻にコンクリ-トを手で練らせ、運ばせることは見られない光景

レ-ディ-ファストの国民だから?

目を真ん丸にして驚いてた、アルゼンチン人は目が大きい人が多い

その人たちがびっくりするとパンダのよう

オ~! ノ~!と叫ばれてもえかきのつまは何とも思わないのである

 

えかきのつまは怖いもの知らずで、えかきが恐怖である蛙が毎日の如く、ぴょんぴょんとお風呂場へ遊びに、、、

か-君と呼ぶ絵かきだったり、子供達だったり

良く小さい頃にアマガエルに「おしっこをかけられと目が見えなくなるよ」と言われてきたが

えかきのつまはそんな話はなんのその、全然信じないし、恐ろしくない

逃げ回る蛙を捕まえるのは一苦労するのですが、捕まえると窓から外へポイっとさようなら~する

でもまた同じ蛙かわからないが明くる日には入っているので毎日のくりかえし、蛙はかえってきて、またどこかへかえるのです

 

移住して仮のお風呂はドラム缶が多い、荷物を入れて運ぶのを利用
絵かきと次男
水墨画
小川憲一豊実描く

 

プエルトリ-コの家にて
三人の子供、タケル、ヒトシとミルタ誕生パ-ティにて
油彩
小川憲一豊実描く

 

 

小、中と高校は家から歩いて3分とかからない、子どもたちはえかきのつまの母校でもあった、そこの学校へ通った

えかきのつまの思春期の頃にはプエルトリ-コから25K離れてたところに住んでいた

学校へ通うこと、大変だったとは思わなかった

 

ガルアペ~移住地にて
大好きな一枚の写真
両親、妹のミルタ、弟のアンヘル絵描きの妻と三人の子供達

 

初めは寄宿舎生活、そして中学校からバス通の学生時代

二階に寝泊まりしてた寄宿舎では、おてんばな寄宿生(女子のみ)何人かで夜窓を開けて、何枚かのシーツを繋ぎあわせ縄のようにして脱走してたそう

でまた縄を伝ってあがって帰って来てたのかしら?と今となって考えるのである

初めはドイツの支援を受けて、カトリック系の学校ででしたが、よくシスタ-にばれずに行動してたのが、不思議である

映画の一コマのよう

 

両親は鹿児島で生まれ育ったが、父はもっと大きい農業を夢見て移住を決心、母は付いて行った

 

1955年神戸にて両親と優二、兄2歳

 

垣根涼介のワイルド.ソウルを次男のヒトシに進められて読んだことがある

次男、曰く、お祖父ちゃん、御祖母ちゃんはこの小説の様に苦労したと思ってた

えかきのつまはこの小説を読み、ちょっと違うと感じたのが本音

アマゾンに移住した方たちは並大抵の苦労ではなかった、次々に亡くなって行く仲間たち、、、とっても惹きつけられたしドンドン次々へと読み進んだ

そうなんです、両親やアルゼンチンへ移住した方たちが苦労はしてないと言えば嘘になる

でもワイルドソウルに比べると、そこまでは、、、

 

金銭的な面では大変でした、1956年生まれの長女としては生きて来た証がある

移住地の人たちで薪、野菜とかetcで寄宿生の支払いに当てさせてもらった

とっても理解があり、優しいシスタ-たちでした

 

貧乏はしましたが、家庭内は明るかった

雨の後に腐れた木々にわんさかと収穫できるきくらげ、牛肉を買うお金はないので

父がきくらげを油でサッと炒める、味付けをして、美味しそうに食べながら言ってた

「畑の肉だ!、美味しいぞ~!」

えかきのつまはきくらげは好物だし、プラス思い出すこといろいろ、特に父が嬉しそうに、美味しそうにほおばってたきくらげを酒の肴に、いまだに脳裏から離れません

 

父と初孫のタケルと長野にて

 

ミシオネス州にて、タケル

母もとてもほがらかな性格でした

 

左母21歳、睦子叔母ちゃん16歳 日本にて

日本が、里が懐かしくか分からないが一回だけ縫物をしてたミシンの前で顔を伏せて泣いていたところを幼い頃見た

常は良く笑う母、そして父も、あまり怒っていた記憶はない

明るい家庭のお陰と言うか、きょうだいであまり暗い性格をした人はいないように思う

アルゼンチンと言えばアサ-ドにワイン

 

chorizo&morcilla

で大体誕生日は盛大にお祝いをする

 

 

 

       父の米寿祝い

 

父本人が書いた

 

お酒は大好きでした
写真のは日本酒、
鹿児島出身なので一番は芋焼酎、それも高級な侍の門を持って行っても霧島の方が喜んでた
最後はもっぱらウイスキーにコーラを混ぜて

 

アルゼンチンの孫たちと
ケ-キが一杯 父、意識が殆どない?でも強かったのは確か

 

孫たちからのプレゼント

 

      弟ロベルトの還暦祝い

 

スイカのディスプレイ

 

時間を気にしてる?

 

 

 

 

母は父より13年前に亡くなり息を引き取るまで付き添っていた

癌でした

 

母のお葬式にて

 

母が亡くなり、父があまり落ち込まないようにと子供たちが気を遣い絵描きの妻と日本へ来た

 

孫と父が帰国したとき、これが最後だと北海道旅行を

 

そのあと一人の孫とまた日本へ

広島~北海道へ団体旅行で

雪まつりを見学中に甥は迷子に、携帯で広島のえかきのつまに知らせてきたが何もできない、ヤキモキするだけ

添乗員さんは大騒ぎ、父もあわてたよう

でも甥は無事皆様と合流できたそうで、一件落着

日本語があまり話せなかったので困り果てたと想像する、そのように失敗したりして人間は成長していくのでしょう

旅はハプニングがあって面白いし、忘れられぬそしてもう二度と戻らない時間である

 

父は海鮮は大好きでした

ある地域の北海道の浜カニ?を買って、多分タラバカニだったと記憶しているが送って来た

冷凍カニと違ってすごく美味しかった~

カニの季節になると父を思い出す

 

 

父は最近脳梗塞で倒れ、一週間ほどで母の待っていた?所へ旅経った

 

アルゼンチンの棺桶はこんな感じ、里ではまだ土葬

一度しかない人生、損得で言えばやはり長生きする方が勝ちでしょうか?

 

一番遠い国へ嫁いだえかきのつまはコロナ禍で里帰りも出来ず、もちろんお葬式も、みおくることも

で母の時と違って落ち込み立ち直るにも長~い時間が

どちらかと言うとまだ生きているような錯覚に陥っている

もしかしたら、6人のきょうだいの中でえかきのつまが一番親を心配させたのではと娘に言われたことがある

 

娘を気にかけてくれている父の動画が添付されてきた、自分のある誕生日のである

 

この動画の父を見ると泣けてきた、えかきのつまも三人の子の親、親になって、親の気持ちがわかること多々ある

私たちの近くに住むために歩いて5分とかからない距離に両親は家を建てた

なのに引っ越しする頃には日本へ来てしまって、寂しい思いをさせたなぁ~と今になってつくづく実感

 

父との最後の別れになったのが絵描きと二人で帰国した2019年

その時父が「最後になるかもしれない、マリアここに座れ」と言われ食堂の大きなテ-ブルに向かい合って言った”もう会うことはないかもしれない、こっちがペソでこっちがドル”とお金をいただいた

 

やはりえかきのつまはお金に困っているのだと心配され、父からの年金の一部のささやかな気持ちだったのだろう

 

そしてその後91歳で突然倒れ、二度と戻らぬ、会えぬ父となった

 

えかきのつまも何回か一人で里帰りを

還暦のお祝いはもう亡き母以外でお祝いを

えかきはすっかりつまの誕生日などすっかりお忘れの様でした

田島で羽をのばしていたのでしょう、そういうお祝いの日、特に日本では大事に祝う還暦を忘れられたことは一生忘れないでしょう

しつこい部分もあるえかきのつま、それ以外はあっさりな性格と自分では思う

 

母も父もあの世へ旅立った

里とはなんでしょう?  郷とは?生まれた場所でしょうか?

ふるさと、古里、故郷は自分の生まれ育った土地を言う

 

必ず思い浮かべるのはふるさとのうたを

移住した人たちは皆くちづさみながらアルゼンチンからは一番遠い日本を思い浮かべて懐かしむのである

絵かきの妻の場合は逆バ-ジョン

小さい頃に滅茶苦茶に歌っていた

如何にいます父母の部分は地下にと、もう亡くなっていないのかと思っていた

えかきのつまは里とは自分の心奥底にある、全ての物、出来事ではないでしょうか?

アルゼンチンにいようが、日本に住んでいても心に宿るのだと

 

    (じゅんこうろかい)蓴羹鱸膾

 

故郷をなつかしく思うことはいつまでも変わらない

 

毎晩律儀に仏さんを拝んでた父でした

 

 

 

 

 

 

 

 

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