アルゼンチンで絵描きが建てた家、ジャングル化してつまの思い出も風化

 

えかきの日本語学校の生徒だったCaroが最近インスタグラムに投稿してた何枚もの写真は懐かしくも悲しくもえかきのつまを感じさせた

写真って絵もそうですが色々なことを伝える

 

 

 

 

 

 

 

 

46歳になる長男が生まれたころに絵描きは、父の山から木を切り、運び出し、そして製材所で材料を作りこの写真のような家を建てた

ほぼ家が完成する直前に電気カンナで親指の先も一緒に削った

それだけで終わればよかったのですが,医者の処置の失敗で化膿してしまいとんでもないことに

毎日、毎日医者通い、二度目はホ-ムドクタ-へ

初めて手術の後に包帯を外した時は、つまは気絶しそうになり、気分が悪くなって診査室から外へ出してもらった

親指は何倍にも化膿のお陰で腫れていた

化膿すると痛みも半端なく伴う

膿をピンセットでとっても、とっても良くはならず、医師がこんなことは初めてだとぼやいてた

途中経過を書いていただきブエノスアイレスヘ、ミシオネスから1300Kほどの距離

日系二世のドクタ-に診察をしてもらった

早急に親指を切断しないと化膿が進めば次は手を,そしてひじを切断となる、関節、関節でおこなうそう

結果的に親指なしに

母が言ってたこと脳裏に「山で木こりをしている時は心配したけれどまさか電気カンナで、、、と」

 

自分たちが住むために建てた家でしたがこの指の事故で日本へ帰ることを決めた

えかきのつまの初の日本は絵描きの生まれ育った京都へ

この家には弟家族が何年か住んだ、そしてすぐ隣には両親も

絵描きの妻には思い出いっぱいの場所である

ここからバス通で中、高校へそして銀行へ就職してからも

他の人が見ても思い出がなければ何も感じないであろう

長年過ごした地は心の奥底に張り付いて離れない

両親はあの世へ行ったので心が引かれて慕わしい

かって慣れ親しんだ人や事物を思い出して昔にもどったようで懐かしくも悲しくもあり

里から遠く離れた日本で写真を拝見しながら思い出に浸れるのはありがたい、Caro,agradecida,besos  

 

小川マリアイネス拝

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