我、拗ね者として生産を閉ず本田靖春を読んで思うことはえかきも拗ね者
我、、拗ね者として生産を閉ず

   拗ね者?

 

拗ね者?意味わからず、絵描きに尋ねたら、お前みたいな人だヨと言われ,ますますわからなくなったえかきのつまです

すねもの【拗ね者】知らべましたら

1-世をすねた人. ひねくれもの

2-よくすねる人   とある.

 

つまではなく正しく絵描きの方が拗ね者、本田靖春さんと一緒だ~と確信したし、拗ね者の意味了解いたしました

 

   新聞記者とは?

 

新聞記者はジャ-ナリストとも呼ばれる

仕事は世の中の情報を正しく取材して、分かりやすく人々に伝えること

一般常識を、時には取材対象者と対等に話ができるくらい専門知識をもつことも求められる職業

扱う情報は、政治や経済、国際問題、事件事故、スポ-ツなど

 

  新聞記者に向いている人

 

弱者に優しく権力に屈しない正義感のある人が望まれる

広い知識が役立つことが多いので、好奇心旺盛で勉強家であること

新聞は速報性が大切なので、素早い行動力や臨機応変に対処できる判断力も大切な条件

 

えかきとつまは大勢の新聞記者との出会いがありました、そして取材も数多く受けて来た

個展をするたびに各新聞社から展示会、個展の情報を書く記者は大体新人記者が担当させられるように感じる

マニュアルがあるような、皆聞かれることは同じような事柄である、面白くない

記者さんたちは真面目過ぎて、えかきのつまはいつも冷やかしたくなる

大体が短い文章、スペ-スに上手に収める記事を書かれる

 

ある記者さん、多分新人でしょうか?

 

とある論説副主幹はテレビの取材で知り合った、皆様の許可は得てないのですが、楽しいひと時をすごす、もう大分前のことなので許してください

 

新聞、テレビや雑誌から受けた取材をちゃんとスクラップブックにでも収めていたら面白い記事もあっただろうに

 

良く思い出す記者さん、あまり印象に残っていない記者さん、様々ですが、、、

 

少し前までは百貨店の美術画廊の部長や課長は凄く偉そうでした.

ある新聞社の記者さんにはとっても感心しました

失礼なことを言われながらも、イライラなど見せずに、落ち着いて待っておられた

百貨店側は上から目線、特に無名なえかきの個展なのでなおさら

この時が、いや原爆展で尾道か広島でお会いしてかも、、

それから何年もお付き合いさせていただきました、記者としてではなく、友達かしら?ご家族の皆様とも

本当に色々な形の出会いはある、一期一会もある

 

上から目線の人に共通する4つのこと

 

1-アドバイスや考えの押しつけが大好き

2-物事の判断が自分基準になっている

3-自分が勝てそうなことは何でも競争しがち

4-相手の揚げ足をとってダメ出ししてくる

5-他人に厳しく自分に激甘

 

このような人たちを対応することを存じておられたのでしょう

 

最近の報道はおかしい、テレビは嘘ばかり、マスコミは信用できないと発言する方おられるかなしいかなぁ~

本田靖春記者はノンフィクション作家とかジャ-ナリストと呼ばれるよりもず~と社会部記者がよかった?と思っておられたとか

もし今この世にいらしたらやはり嘘を書いたのでしょうか?

拗ね者だから、それはあり得ないと思う、そうあってほしい

 

一度天声人語てんせいじんご(朝日新聞)?ははっきり覚えてない、でも多分天風録 てんぷうろく (中国新聞)に出して頂いたことがある

 

ちゃんと整理してないのであちらこちらで一部見つかった新聞記事を投稿します

その時には大変お世話になりましてありがとうございました

えかきとえかきのつまの人生に色を添えて頂き感謝いたします、いい思い出です

 

新聞やテレビ、雑誌から取材を受けても、絵は殆ど売れないものです、結果しあわせな今日があるとしみじみ感じます

 

中国新聞

 

日経新聞

 

 

 


本日5月29日、毎日新聞広島備後面に「もとやんの海苔師修業」10回目が掲載されました。懇意にしてもらっている画家の小川憲一さんを紹介させていただきました。よろしくお願いします 元田禎

 

毎日新聞

 

 

 

「一九四六」

現在、高知市の「かるぽーと」では、「王希奇(ワン・シーチー)展」をやっている。12月5日(日)まで。本日、原爆をテーマとする反戦画家の小川憲一さん夫妻と1時間ほど観た。

作者は、魯迅美術学院油絵学部に勤めているとか。油絵とはいえ、3m×20mの巨大絵画は、土色のモノトーンで色彩はないに等しい。魯迅の推し進めた版画運動を彷彿とさせる。重量級の表現力で、満州引き揚げを活写しているように思った。さまざまなイメージが湧く。

混沌の中に、ところどころで、頬骨の出た引き揚げ者たちの顔が浮かび上がっていた。生き残るために、一方向に移動する動物の群のような気配が漂っていた。作者は、「侵略の悲惨」を描いたのだろうか。

日本の敗戦は、1945年8月15日。しかし、満州引き揚げは、1946年5月7日にようやく始まっている。この絵のタイトルは、日本の棄民政策を批判しているように思える。成川純facebookより

もしかしたら成川さんも拗ね物かしら?文書に引き付けられる

お聞きしたことがあります、どうしたらそのように記事を書けるのでしょうか?と

大学時代に私、私と書かない方が良いと先生に言われ、直された記事はとっても良くなっていたとか

ヒントにはなりますが、やはり天性でしょうか?

体験や苦労が記事を書かれるときに力になっている?

わかりませ~ん、えかきのつまには書けませ~ン

 

NHKでも取材していただきました

皆が拗ね者であれば世界は変わるのでしょうか?

 

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