絵とお茶テレレの名前の由来、そしてどんなところ

B!

福山市内海町の絵とお茶テレレ

 

 

 

一言でいえば画廊喫茶。

小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)と名乗るえかきがいて、自分の作品を展示。

2008年のリ-マン。ショックまでは日本全国とあちらこちらで、百貨店や画廊で個展を開催。

リ-マン。ショックは2008年9月にアメリカの有力投資銀行、リーマンブラザ-スが経営破綻し、そしてそれをきっかけに世界的な株価落下で金融危機が発生。

日本経済も影響を受けた。アメリカ市場での日本製品の需要減、トヨタ自動車はリーマンショックの影響で60年ぶりの営業赤字。

 

 

えかきはトヨタなどとは比べることも出来ないのだけれど影響は同じく受けた。個展をどこでしても赤字。

で作品展をよそではせずに。ではなくできなくなった。

住んでた家がだんだん絵で埋まり始め、人間が息苦しくなり、絵を保管する所を探し始めて5年後に縁あって今の田島に画廊喫茶をオープンした。

夢にも見てなかった、喫茶をすること。画廊はあり得ても、商売はあり得ない。

お借りした場所がとっても広くて、えかきが一番気に入ったのが元醤油蔵だったところ。

母屋も広くて、だったら絵を観に来て下さる方にはお茶でもと思いつき、突然喫茶をるすことに。

お店の名前を何に?色々考えてテレレに決まり!

テレレは(Tereré)は冷水やジュ-スで入れるマテ茶(Yerba mate)の飲み方の一種。

南米のパラグアイ、アルゼンチン、ウルグアイとブラジルで暑い季節にイエルバマテを氷と水を加えた飲み方、一般的にハーブとかミント、レモンバ-ベナ-、グレ-プフル-ツやレモンなどの天然香料を加える。

木や瓢箪で作ったカップに茶葉を入れ、水を注ぎbombillaと(ボンビ-リャ)と呼ばれる先に小さな穴が開いた特殊なストロ-のようなもので飲みます。

アルゼンチン人に人の40パ-セントはテレレを飲む。テレレを飲むときには親しい人同士で回し飲みをする。

私はアルゼンチン生まれ、育ちの日系二世。テレレは覚えてもらいやすい言葉。

主人のお店の名前の由来はちょっと違う。

ライフワ-クである反戦の絵を描いて、平和が一番で、戦争は絶対いけないを伝えるために蔵にはそのテーマの絵を展示している。

主に原爆投下でどのような影響を受けたか、、、水、水と叫びながら亡くなられていった方たちに、テレレを飲ませたかったと主人。

 

もう60年近く絵を描き続けてきたえかき小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)は京都の西陣に生まれ育ち、20歳のとき、下駄履いて船に乗ってアルゼンチンへ。

南米をあちらこちら15年位放浪しながら絵を描いて回りました。

そして縁あって松の下マリアイネスと結婚して今は内海町に住んでおります。

 

  蔵には反戦の絵を展示

 

醤油蔵だった所に、原爆や反戦の絵をてんじしてます。

 

 

 

   漫画部屋もあります

 

 

第三会場えかきの小さい商品

 

 

母屋には暖かいえかきの絵

 

母屋には暖かい絵を観ながら自然栽培のウガンダコ-ヒ-、えかき手作りの紅茶、煎茶、マテ、テレレ、エンパナ-ダ、チ-パ-、アルフアホ-ルにパスタフロ-ラを味わえる画廊喫茶。

 

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冬には私をしあわせにするルンペンスト-ブ

ジャングル育ちのえかきのつまは薪スト-ブを愛する、何よりもしあわせをあじあわせてくれるので、いつも薪を下さる人たちには幸せをありがとうと言う気持ちになる。

 

二階にはツリ-ハウス

えかきの手作りのツリ-ハウスからも海が見えて、子供も大人も楽しんでる。大人は子供の頃にフラッシュバックして、色々ボ-とできる空間。

絵とお茶テレレは、田島でひっそりと土、日、月の11.00時~17時オ-プンしてます、皆様との出会いを大切にしたく。

小川マリアイネス拝

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