人間は必ず死ぬ運命、4歳でこの世を去ったおにいちゃんの人生は短すぎる
東京の叔父さんの里帰りのおみあげ羊羹を食べる
                   人生はそれぞれ違って当たり前
鹿児島県桐原にて
両親と優二兄ちゃん2歳
叔父ちゃんとおにいちゃん
アルゼンチンに住んでいるきょうだいが家系図を作りたいということで身内情報を日本に住んでいる私に頼んで来た。父方の戸籍謄本を従妹にお願いして取り寄せてもらった。 父は7人きょうだいだと思っていたのですが、10人と知って驚きを隠せない。七人の内お会いできなかったのが一人の叔父ちゃん、長男だと信じてた。父がよくこの叔父ちゃんのことを話してた。お爺ちゃんが弓を引いた瞬間に叔父ちゃんはトイレから出てきて目に当たり失明して、義眼だったと。 後の三人の父のきょうだいは、2日、一年、と3年ほどの寿命だったようです。昔は短命であった理由は医学や科学が発達してなかったから? 何人かの友人に私は化け物扱いされる、永遠に生きると断言する。あり得ない話。「俺が死んだらあ~してこ~して」と頼まれる。嫌ですときっぱり断る、第一どちらが先に逝くかわからないし。とんでもないことをお願いしてくる友人もいる。嫌、いや~とだだこねる。 人生は人それぞれ違って当たり前とは言いますが納得がいかない時もある。 若くして亡くなられる人は、やはり運命なのでしょうか? 鹿児島県の財部で1952年に長男として誕生、親がアルゼンチンへ移住するとのことで3歳で三か月の船旅でブエノスアイレスへ着き、そこからまた1300キロ北へと汽車で向かった。 私が生まれ、三ケ月後には事故死した。思い出は唯一両親が話してたことだけと写真である。特に個人的にはお兄ちゃんとの思いでもなく、寂しさつのります。 母が言ってた、優二は空を飛ぶ飛行機をみ上げては「00ちゃんのとこへ連れてって~」と叫んでたと。 一人で遊び相手はいなく、両親は仕事で忙しく構ってあげられなく、つまらなく、寂しかったのでしょう。 写真は残っている、モノクロ写真ですが、この世に存在した証拠はある。毎年11月28日の命日にはお兄ちゃんの供養をして、大切な兄を偲んでた。 もし生きてたら私はお兄ちゃんと呼べて、こんなに強い性格ではなく、甘えられてしおらしい人間になってた?かも。辰年だったので、今年69歳、2月18日生まれなので。 父は今年の1月に、そして母は14年前にお兄ちゃんのところへ旅立ったので、三人で仲良く語り合い、私たちを見守っているのかしら?一緒にいたときには言えなかった「ありがとう」,あなた達のお陰で今の私はある。
移住先にて1955年
優二にいちゃん
ミシオネス、オベラにて

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