雨がしとしと、パラパラ、ザ-ザ-かしら?、と音をたてながら降っている
絵とお茶テレレは閉店日だし、アルバイトは休みなのでのんびり音楽を聴きながらえかきが起きてきていっしょに朝食をとろうと待ちながらパソコンの前でボ~としている
どちらかと言うと胸が熱く、痛く感じるのはなぜかしら?
雨音がもっと胸が締め付けられ様な感情に浸るのは何処から来るのかと考え中
雨がそうさせるのか、それとも生きているからかしら?
答えのないのが人生なのかも知れない、先が分かっていたら面白くないのでしょう
ざ~とえかきのつまの一年の予定は決まっている
ホテルの厨房でアルバイトをして、海苔のシ-ズンには海苔工場へ、休みの折には絵とお茶テレレにいる
そして民泊受け入れ家庭もしており、主に春と秋に集中して修学旅行生がやってくる
関西から、関東からそして偶には外国からも、、、
三人の子供達は皆親元から離れているので常はえかきと二人だけの島での暮らし
民泊受け入れ家庭を始めて何年になるかしら?内海町が民泊をやり初めてから都合がいい時に殆ど参加してきている
事務局から100歳までと冷やかされるが、実際は何歳まで健康でできるかは正直さっぱりわからないのである
先日は説明に苦しむ自分でも理解できない
ちょっと長い時間椅子に座っていた
台所で椅子から立ち上がった瞬間にスライディングしたのである
痛くてたまらない、右足をぐねったよう
痛い、痛いと一人でぼやいていた
しびれていたのかしら、訳がわからなかったのである
何とか立てた
後日に民泊を控えていた
右足が腫れ始めた、足を引きずりながらの日常が始まりました
痛みをこらえながら民泊とアルバイトもこなしたのである
中々痛みと腫れがひかないのでやっと二週間後に島の診療所へ行ったらドクタ-に「2週間も前ですか?その時は凄いことになっていたと思うが、今はもう自然治癒力で治っていくので痛み止めか湿布を、、、」
即座にえかきのつまは薬嫌いなので湿布にしてくださいとお願い
三分ほどの診察だったかも、あっけなく終わりました
母を思い出していた
40歳代の頃家の庭先で小さな石ころにつまずきこけて足を捻挫したとき言ってたこと「こんなに小さい石ころにつまずくなんて」とショックを隠せなかった様子
年は取りたくないとも
二十代、若かったえかきのつまは母のぼやきにクスッと笑っていました
今では理解できる、誰もが行く道と言いますが、歳を取る事だけは人生では公平
えかきのつまの好きなものは、嫌いなことは?と考える
やはり人間が好きです
ホテルのバイトでは若い人たちに囲まれて元気をもらい、海苔工場では家族の様に接して下さることにしあわせ感じる、そして民泊を受け入れてると今の生徒たちの苦しみは、夢や、しあわせを教えていただく
でえかきのつまに出来ることはと問うたら色々と思うことは沢山ある
民泊を受け入れる家庭に福山民泊協議会からは規則は少々あるが、自分が一番大切にしているのはなんだろう?
一度しかないこの時間を精いっぱいやる、家族の様に接していただければ悔いはない
誰かがテレレへ行くとつい本音が出ちゃうと言うが、生徒たちにも抱えてる悩みや苦しみを話してもらい少しでも楽になり、将来に希望がもてたらと思いながら民泊をしています
現在では家族内でのコミュニケーションは乏しく、家族がありながら一人で寂しく食事をする人も多い
若さは宝と母のセリフだったけれど、若いのに寂しい人が多々おられる
お父さんがどこにいるか分からないと話されると胸が痛み、そのような表情をえかきのつまは見せるのか、子どもの方が気を遣い「悲しくありません」と言う
もっとせつなくなり言葉を失う
まだ幼く小さい体で現実を受け止めて、一生懸命生きている
シングルマザ-の子供達も多い
もちろんしあわせな家庭の子もおられる
しあわせな子供たちがさみしい同級生を少しでも心を楽にしてあげられるでしょうか?
現実は寂しいかな、残酷に思える時もある
でも本当に子供たちは一生懸命生きていると実感する時が多い
逆にえかきのつまは勇気を頂くことの方が沢山あるのです
やっとえかきが二階から降りてくる
マテを飲みながら朝食をしょう
楽天的なえかきのつまは胸が締め付けられ時もあるが、マイナス思考は嫌いなので今日も過ごす時間は変らないので、楽しい方が好みなので、大切に過ごしたい
大事に、大事に一度しかない人生を
小川(松ノ下)マリアイネス拝