今回も車中泊で舞鶴からフェリ-で小樽で北海道上陸した
人は何故旅をするのでしょうか?
この問いに明確な答えを出すのには、人はなぜ恋をするのかを説明をするのと同じように難しいそうです
えかきのつまは常に運転手、えかきが絵を描くための取材、一緒に旅をするのかも知れません
旅の歴史
人間が旅をする理由は段階的に移り変わってきている
三つの旅があるよう
1-生きるための旅
2-強制される旅
3-自ら好んで行く旅
1の旅は狩猟採取時代(旧石器〜縄文あたり)までさかのぼる
当時は食料を採収したり、気候変動や天災から身を守るためのいきるための旅が主流だった
2-国の防衛や内税のために必要な移動が生まれ、これが強制される旅
3-そして、平安時代になって現代の観光のような、自ら好んで行く旅が始まるすが、こちらもレジャ-や観光ではなく、僧侶による修行や巡礼といった宗教上の信仰が目的
室町時代になると信仰の中心は伊勢神宮へと
江戸時代に入りやっと自ら好んで行く旅が始まったようです
勿論えかきも自ら好んで行く旅
旅の楽しさ
「その理由や目的を問わず、旅をすることは、日常生活を一時的に離れて自己を見直すという意味を共通して持っています。平素とは違った環境での、自然や文化あるいは人々との出会いは、自己確認と発見の新たな機会をつくってくれるのです。とくに、美しい・楽しい・美味しいなどの感情を伴っている場合、人間をより豊かな世界へと導く作用を持っているのです。人を知識面だけではなく精神面でも成長させてくれる機会として旅を利用することが大切なのです。そのためには、新しい体験を楽しいものとして受け止める姿勢が求められるのです。旅の価値を決めているのは旅をする人自身の気持ちであり、心構えなのです。」ネットより
北海道海岸を一周する予定で小樽から車を走らせました
いつも前もって決めているわけではない
行くままに,気ままに、いいと思ったら止まり、観光したり,泊まったりの旅
海岸線を車を走らせていると小平町で旧花田家番屋を発見
宗谷岬へ向かって行っているとある場所から利尻富士が見ることができました
そして日本最北端の地の端、宗谷岬の突端に位置していて、日本のてっぺんに建てられています
稚泊航路の記憶を伝える美しきモニュメント
稚内-樺太大泊間の旧稚泊航路整備の一環として、冬季の北西越波防止のために建設された半アーチ式ドーム。海上からの高さ14m、柱間6mの円柱70本を並べた長さ427mの世界でも類を見ない独特の景観と構造を持ち、港湾土木史に残る傑作であるとともに、旧樺太航路時代の記憶を残す歴史的遺産。設計者は、当時26歳の土木技師・土谷実。ネットより
街の中にゆうゆうとシカが草を食べていた、人間が近づいてもびくとしなかったが車の音には少し驚き走ったりしてた
シカもいれば、かわいいきつねもあちらこちらで見かける
車でひかないように気をつけながら、旅をするのである
足湯で楽しんでおられた皆様に仲間に入れていただき、のんびりとお話をしたり
知床(しれとこ)では知床五湖へ
そして北の国からの純の番屋へ
調べて行ったわけではなく、ランチをと探していたら出会ったお店
すぐ近くに海鮮工房が
カニが安く売られていた
夕食には車内でカニを食べた、とってもおいしかった
襟裳岬(えりもみさき)というと頭に浮かぶのは森進一の歌
森進一は鹿児島出身、父も鹿児島出身
何故だかこの襟裳岬の歌を口ずさんでいたのを思い出しております
「襟裳の春は何もない春です」と悲しく歌う
春の襟裳は知らないが
行ってきました、夏に、歌の様に何もなかったかもしれない
でも何もないのが良い所でもあると感じる
新冠(にいかっぷ)町には、数々の感動をくれた馬たちの碑
写真を撮り始めビックリ、とっても、とっても終わらないくらい一杯ありました
抜けてる碑もありましたらごめんなさい
函館より大間へ
大間ではえかきのつまはマグロを食べ損ね今でも残念でたまらない
えかきがまだ夕食には早いとつまの希望は叶えてもらえず
何年も前からえかきは奥入瀬へ行きたかった
えかきもえかきのつまも雨男女ではないのですが、凄い雨でした
多分えかきは残念でたまらなかったに違いない
仙台市からまたフェリ-で名古屋へ
映画やピアノコンサ-トで心和む
映画はインドの「ス-パ-30」アーナンド先生の教室は感動的
旅の話は永遠と続きそう、特に北海道の旅行は話すことが次々から思い出される
北海道は何となくアルゼンチンの雄大さに似ているのでまた行くかも知れません
小川(松ノ下)マリアイネス拝