アルゼンチンの高校の卒業式その後のパ-ティ-は日本とは違い過ぎる

       アルゼンチンの卒業式

 

半世紀近く過ぎ、精密には覚えていない

でも映画のようにキャップを投げたりはしない、独自な卒業式であると思う

 

日本みたいに入学式はない

なぜそんなに違うのか分かりませんが、文化とでも言いましょうか?

ある年に40人の生徒が入学しても、落第せいなので段々と少なくなり、必ず入学した生徒たちみんなが一緒に卒業するとは限らない

えかきのつまが入学した商業高校は創設、ドイツの援助を受けて出来立てほやほやの学校、先輩?はいません

アルゼンチンでは日本みたいに先輩、後輩という目上、目下のタテ関係はありません

なので何年の卒業生と言うのが一般的

えかきのつまは1973年の卒業生

40数人入学したけれど、卒業時には13人でした

 

同級生、2年生の時

 

 

三年生、数学の先生と
入学時より大分少なくなっている

 

José de San Martín の命日にパレ-ド

 

ホセ デ サン マルティンはアルゼンチン出身の軍人である

ラテンアメリカ独立の英雄

 

学生時代は殆ど軍事政権、記念日などにはよくパレ-ドに参加しなければならなかった

 

絵描きの妻の時代は、小学校は7年間、中高校は普通科、商業は5年間で農業は6年間

小学校卒業の時に大体進路を決めるようになる

 

カトリック系の学校でしたので、卒業式の前には教会でミサ(礼拝)に参加

 

上からJunko,Wilma,Norma,Margarita,MariaInes,Susana y Margarita 神父さんはJosé,pistolitaなんてあだ名を ヨ-ロッパ-出身でハッキリ知らないのですが、戦争か手が凍傷、指を何本も無くして親指と人差し指だけが残り 銃の形に似てたので、悪の男子たちはピストルと、愛情をこめて呼んでた    穏やかな神父さんでした

 

 

 

上からVictor,Enrique,Federico,Rubén,Andrés x2,Rauber&Vier

ミサが終わったら日本のような卒業式に移る

 

旗を4年生に呈する

 

卒業証書を個々の手に、同級生のメッセジ-を聞く 内容は思い出せない

 

Hna Obdulia、校長先生の挨拶 ハッキリと分かりやすく言う、厳しいけれどやさしさあった

 

 

 

校長先生は シスタ-にならないかとアドバイスを

 

何を言われたのか覚えてないけれど、結婚生活は難しいからシスタ-にとあきらめずに説得?かしら

 

記念撮影、記念品の贈呈

 

両親と数学と文学の先生と校長先生

 

乾杯!!!卒業して羽ばたく、希望に燃えて       卒業生はみんな嬉しそう

乾杯しながら軽食をとって、真夜中からパ-ティに向かう、生バンド付き

 

日本では厳粛な雰囲気で行われるものが一般的、でもアルゼンチンではとっても明るいのである

子供達三人の日本での卒業式を体験しました

びっくりしたことひとつ、日本では涙涙ですが、アルゼンチンでは一切ない

卒業式で生徒や親たちが泣く意味がわからなかった

えかきのつまが生まれ育った国では、卒業は旅立ちの瞬間を意味し、大人への一歩、うれしくてたまらないの一言です

経済的に裕福な方たちは別かも知れませんが、親が苦労の中で一生懸命工面して教育を、学校へ、やらせていただくので、日本の登校拒否みたいなのはなかったような

日本と違って、まだまだ学校へ行けない子供達も多くおられる中で、両親が言葉も分からない国へ移住して、頑張っている背中を見て育つとわがままなど言えません

三人の子供たちは両方の教育を体験しているが、どちらがと言うか、両方で親は良かったと思うのですが、子ども目線では違うのかも、、、

日本では長男から聞いた記憶はない、でも後の二人は学校へ行きたくないと言ったことはあります

子供は学校へ行くのが仕事でしょう? 母君(かあくん)、えかきのつまのことですが、鬼やと次男は言った

それ程学校とは行くのが嫌、なぜでしょうか?

孫たちにも学校面白い?と聞くと、特に一年生の嘉純はおもしろくないといいながらバーバに抱き着いてくる

 

アルゼンチンと日本では何が違うのかしら?発展途上国とお金がある国でしょうか?

子供達が長い時間過ごす授業は楽しくて毎日学校へ行きたいと思わせていただきたいが心からの願い

責任は元々は親にあり、教育者や社会にあると考えますが、言えることは教育はとっても難しいと実感する今日この頃

親の願いと子の願いが違うのは致し方ないのですが、やさしさがない子になってしまった?かもと感じるととっても悲しくなるえかきのつまです

多分教育は押しつけるものではなく、一人一人を尊重することが一番なのでしょうか?

優しい人は生きずらい世の中、でもやさしさ、相手のことを思いやる事の出来るのが大切に感じる

 

脱線してしまいましたが、えかきのつまの卒業パーティーは小さな町の方たちに祝ってもらいながら、楽しく、生バンドでダンスをしたりと世が明けていく

 

結婚式のように女子は父親と登場し、男子は母親と、どちらもおられない生徒はお兄さんや身内と

 

結婚式ですかと聞かれるが、卒業パ-ティで初めは父と登場した

 

時代を感じさせる白黒写真
カラ-写真より白黒写真が絵描きの妻は好き

 

ドレスは母の手縫い
今手元にはない、ある人に結婚式にと差し上げた

 

女子七人の新卒業生たち

 

男子も含めて13人
13の数字は Número de la suerte o yeta と言われてた

 

新卒業生のテ-ブル
個々が胸に夢を抱いて、何人か写ってない

 

大きなクラブ、バスケットゴールが写っている、面白い
最初は父と踊る

 

 

 国によってまったく違う世界の卒業式

 

日本の卒業式の服は制服

アメリカではcap&gownスタイルで、キャップとガウンの色はスク-ルカラ-で決まっている

 

 

 

イギリスでは卒業生がいっせいに帽子を投げる、アメリカと似ている?

 

 

 

 

フランスには入学式を行う習慣が一切ない、卒業式のようなセレモニ-もない

 

 

     アジア6カ国の卒業式の習慣

 

 

台湾

卒業生の服装は、主に学校が用意した卒業ガウン、黒いロ-ブですが、学部や専攻によって袖や衿の色が違う

 

 

香港

 

卒業生が角帽を空に投げるポ-ズが定番

 

ノ-ベル文学賞作家のモ-エンの祝辞

 

タイ

 

卒業式の方法に決まった形式はない、先生の挨拶や卒業証書の授与、記念写真撮影などを行うのは一般的

服装は基本的には通学時の学校の制服か、卒業式用にあつらえられた制服を着用し、儀式に参加

 

 

マレ-シア

 

儀式には決まりなどないけれど、一般的に校長や先生方の挨拶、卒業証書の授与、記念写真撮影などがある

 

 

ベトナム

 

お楽しみ要素満点、歌やダンスなどで、式後の写真撮影もにぎやかに

 

ベトナムでは、入学式や卒業式などのイベントを日本ほど人生の節目ととらえない、こうした儀式に参加しない親も多い

 

日本の卒業式と言えば、別れを惜しんで涙する光景はおなじみ

ベトナムでは別れ際がさっぱり

それは多くの卒業生がハノイやホーチミンといった大都市で引き続き仕事をするケースが多く、会いたければすぐ会えるから

服装は男女とも白いシャツに濃いブル-のズボン(女の子はスカ-ト)の制服が定番

女子は白いアオザイを着て記念写真を撮るのが一般的

 

 

インドネシア

 

コ-ランの朗読や卒業生による歌唱など、伝統を重んじる卒業式

開会式のお祈りで式が始まり日本と同じように校長や先生の挨拶、卒業証書の授与など

 

日本とのちがいはベトナムのように卒業生がステ-ジで歌やダンス、詩の朗読などを披露する

卒業生の様々なパフォ-マンスの後は閉会の祈りと集合写真の撮影などを行い、式は終了

 

 

世界の一部分の卒業式を見ていると楽しい、個々違っていい

 

商業高校初の卒業生、新聞にも

 

新聞掲載の為に写した写真

 

 

 

えかきが高校卒業の時のつまの絵を描いた

 

木に油彩
小川憲一豊実描く

 

写真もいいけれど、絵として残すのもいい

 

遠い昔に心を通わせ綴ったえかきのつまの高校の卒業式でした~

 

小川(松の下)マリアイネス拝

 

 

 

 

 

 

 

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事