自分はアルゼンチンで住んでいた家なので一言でいえば理解できるけれど、他人はそうはいかない
アルゼンチンのとある日本人移住地、両親は五回の引っ越しをしている
サラ金に追われたのではない でも近い状態の経済状況ではあった
幼い頃両親は高利貸しと呼んでた お借りした元本は返せなくて、少々お待ちください!とお願いと同時に利子だけを支払いに弟と二人で案外遠い街まで行かされた
両親は忙しくて、よく言ってました「貧乏暇なし」とはまさにこのこと、借りたお金を返しに行けないほど仕事に追われ、こどもをお使いに出してた
テレビ番組の初めてのお使いどころではない 借金の利子を返しに行くと、怖い犬に吠えられ、不愛想に年を召されたおじいちゃん、おばあちゃんは高利貸し、子供にも冷たいのである
童話の中に登場する魔女とか怖いお爺さんの様
子供だからと許してはもらえない、甘くはない、しっかり利子は取られて、不愛想に突き返される
お金を貸す側は冷たいもんであると幼い心を痛めた
でもなぜだかお金には執着心はなくみんなから心配される 死ぬときには差引き0が最高という私のポリシ-です
話は脱線してしまいますが幼い頃、いや今でもそうですが、どちらかとというと貧乏である
お金持ちでも貧乏でもしあわせが一番と言える
井戸に落ちたときの話
井戸に落ちた時に話を戻しますが 遠い昔のことですが今だ鮮明に覚えてる
お風呂は薪で沸かしてた
一番好きなものと聞かれると、お風呂屋や温泉と答えるでしょう
お風呂や温泉は大好きなのである 一時は温泉付きの家を夢見た
一つ屋根の下にはお風呂場があり、そしてすぐ隣に井戸、イメ-ジの井戸とは異なり、水面と同じ高さで、バケツでくみ上げてお風呂に入れたり あ!洗濯機もあったけ~
お風呂に水を滑車を使ってくみ上げ、浴槽に入れ薪で沸かす
旦那よりお風呂好きな私は気持ちよくお風呂から上がり、多分少し大股に出たらとぼ~んと井戸の中に落ちた 水をくんで蓋があっけぱなしだった
泳げない私はあわてました 井戸の壁に両手を広げて自分を支えた
多分勢いで一回沈んで、また浮かんだ
水が豊富でほぼ上まであったので後はうら覚え、大声で誰かをよんで助けてもらった
思春期に見る、天井の隅から隅へ飛ぶ夢の様な感覚でした
加藤登紀子さんが使ったトイレと自慢、陶芸家の友
場所は変わり、次は日本の笠岡のとある陶芸家の友人の岡山市へ引っ越しのお手伝いの時のこと
お昼になり、昼食を住んでられた家から離れた野原でとることに、持って行った手作り弁当を何人かで食べる
途中トイレへ行きたく、一人で加藤登紀子さんが使ったトイレといつも自慢げに話す友のトイレへ行った
築何年の古民家かは定かではないけれど、いつからかトイレのドアはもうなく、里離れた一軒家、問題はなしだけれど、少し落ち着かない
何回も訪れたお家なのでトイレは一番奥の方にあると知ってた
用を足した後床がぐらっと揺れてボットントイレに落ちそうになり、慌てて両手で壁を支えて、今度は落ちなかった
落ちてたらうんがつき今では大金持ちになってたかも
皆がお昼ご飯を楽しんでいる場所へ戻れたのは幸運がついてたから?落ちてたらウンチまみれになっていたことでしょう、そして助けを求めることも出来なかった
無事に脱出でき皆さまのところへ戻ってその事件のお話をすると大笑いされた
陶芸家の友は「おお~加藤登紀子が使った便所でか」とまた自慢げに笑ってた
不思議なのは人間用を足さないと死ぬのに、男性軍は吉永小百合さんとか、憧れの人はトイレへは行かないと思っているのは可笑しくてたまらない
ボットントイレへ落ちてたらお金持ちになってたかしら?ドラえもんではないけれど「これでいいのだ~」 今のままでいい、そう思う方が幸せだし、ウンチまみれの体験はやっぱりゴメン
あぁ~よかった~かとうときこさんが使用したトイレでも落ちなくて
笑い話で済みました、古い家の土壁はザラザラで手をすりむいただけで、でも事実床がもう少しで抜けるところでした
落ちてたらと想像するとわらけてくる、でも井戸に落ちるのと違って、二階のボットントイレに下まで落ちて亡くなった叔父ちゃんもいると母から聞いてます
何もなかったので笑える出来事