右から読んでも左から読んでも同じ回文のことをアルゼンチンではカピクアと言います。
京都市に住んでいたころに三人目を妊娠。里帰り出産をする為に早めの帰国。
自然分娩を望んで分娩室に入ったのですが、陣痛が強くなるたびに産婦人科医は無痛分娩をと私の意思を問う。
「いいえ」「麻酔は嫌です」断固として断る。麻酔を打つときに失敗して死んだ人のことが忘れられない。
さ~痛みはだんだん強くなり、長男を出産した20歳の時とは違い、28歳になっておりました。
どのくらい痛みに耐えたのか、意識が捉えてはっきり時間は覚えてないけれど、長男、次男、そして長女の出産は個々が違う経験。
まだ今のようにエコ-で前もって性別が分かることはなかった時代。
またお医者さんの誘い「麻酔を打って無痛分娩にしましょうよ」
産婦人科医の誘いに負けたのか、痛みが耐えられなかったのか、はい、お願いしますと言ってしまった。下半身麻酔を打ちました。
さすが麻酔、出産の痛みはゼロでした。
何故最後まで否定したかというと、痛みのない出産は産んだ実感がわかないだろうと思ってたから。
痛みを感じなかったプレゼントに腰から下の部分は何も感じないし、歩きにくく、数時間には麻酔も解けて、だんだん足も動かせるようになった。
何とも言えない感覚、体が不自由になったようである。
長男と次男が誕生してたので、もちろん女の子がほしかった。そして念願の女の子が生まれた。
父親のえかきは京都で何日か後に(今のように便利ではなかった)知らせを受け、あまりの嬉しさ?に聞き間違えて、その年の年賀には、クリスマスイブに女の子誕生と出した。
日本では12月21日はもう寒いけれどアルゼンチンでは夏。
出産の時には一晩入院してすぐ帰る。
長男のタケルは祖父母が日本へ里帰りした折にアルゼンチンへ一緒に行った、そしてスペイン語の小学校へ通った。
私は次男のヒトシと何時間も飛行機の旅。
一番印象に残っているのは、妹の誕生には、長男のタケルは嬉しそうでしたが次男のヒトシはとっても悲しそうな表情で見てた、黙り込んで、あんなにおしゃべりが好きな彼はし~んとしてた。
こうして色々体験して、人は小さく生まれて、大きく成長していくのですね。体も心も。
3か月の滞在で、長女ミルタの首が座ったころ私は三人を連れて日本の京都へお父様の待つところへ。家族は5人にプラスえかきのお母様と同居してたので。
子育てを存分にたのしんで、しあわせでした、やはり保母さんになる事を諦めずに卒業をした方が良かったかしら?
今は仕事場では娘や息子たちのような年頃の人に囲まれて、元気に毎日をたのしんで働いてます。
健康としあわせに乾杯!そして37歳の誕生日おめでとう!
娘、ミルタ、この世に生まれてきてありがとう、これからもよろしくね。
いもんの-ぼう【倚門之望】
マリアイネス拝、母より。