老いるということは経験と知恵を得る代わりに体の機能を失っていく過程かもしれない
ある人は聞くことをまたある人は歩くことを
そして他の人はその経験と知恵さえも失い認知症の暗闇に落ちたりする
幸いなことにある人は視力だけを失っていく
そしてその人は言う「まだ丈夫な足と世の中のことを聞ける耳とそしてこんな自分を受け止められる知恵が残っている
感謝しよう、ありがたいと思おう
そして何より両足でこの世に立ってる
人は年を取ると何処かにガタがくるもの
どんな人にもある程度の不自由はあるので不満に思わないこと
これが人生
こんなもん
全てが思う通りにはならない」
好きなことをしながら過ごす人生もいいし、一筋に生きる人も恰好良いと感じる
あるテーラは言った
”私の人生のすべてはこの洋服店に詰まっている
使いをしてた幼い頃
仕事を教わった少年時代
そして家族を持ち
紳士のス-ツとは何かを悩みぬいた壮年期まで私の人生はこの店を除いては何も語れない
私は服が単純な装飾だとは思わない
何よりも先に自身の表現でありどう生きるかという誓いであり今後こうなりたいという望み
私が作ったス-ツを着て座ってる姿を見たら、私が間違っていなかったことそしてテーラとしての人生がありがたいということを感じる
平凡な人生を送ってきたテーラ、配慮し覚えていて下さった皆様に感謝する
目が見えなくなるともどかしいと思ったが不思議なことに新しいものが見える気がする
人生は今では目の前のものだけ見えたが全く見えなくなったら過ぎた日々が一幅の絵のように目の前に広がっている
だからもどかしい理由がない
人生がまぶしいほど美しくぜいたく人生だったと思えるように生きたい(恰好いい服を仕立てること,過ぎた人生が美しい服地のように広がっている)
服はこしらえると言う
住む家も口にする食事も大事な衣食住は全部こしらえると言う、だから服は単純な飾りではない
服を仕立てながら我々は服と共に人生を作り上げている
紳士というのは高価で粋(いき)な服を着た人ではなく服と人生を一致させる人、それが真の紳士
責任感に押しつぶされることなく十分なしあわせを感じてほしい
苦しみは半分にそして喜びは倍にしながら自分たちの人生を歩んでいってほしい”
と願い最後のお別れのメッセジ-となる
えかきのつまはこういう生き方もおつだと感じさせられた
小川(松ノ下)マリアイネス拝