お茶づくりの師匠吉田忠司の意思を受け継ぎえかきが作る自然栽培の釜炒り茶

安心で安全な煎茶と紅茶

全国の色々なところからお茶の種を集めて植えた。お茶に関心を持ち始めたのは30年くらいになる、ナチュラルハ-モニ-を知ってからである。

   出会いがあれば、別れもある。いろんな人との出会いが人生を豊かにすると言います。今のようにSNSとかで知り合うのではなかった時代。

   1999年3月8日から14日まで福岡の画廊風でえかきの個展を開催。沖縄旅行で、1988年に知り合った友人が11年ぶりにホテルへ会いに来てくださりびっくり。

1988年沖縄の阿嘉島にて
と博多大丸にて赤尾さん

住職さんと私

懐かしむは年の衰え?

2003年2月19日から25日まで博多大丸で個展開催。何年かはこのころ全国の百貨店や画廊で個展を開催してた。たのしい出稼ぎ?出会いは偶然で必然かなぁ~

えかきの祖父にそっくりな忠司さん

   馬の色々な部位が食べられるおいしいお店を紹介されて,個展会期中に夕食がてら行った。小さなお店でしたが居心地の良いそしておいしかった。初めて食べた馬のあそこもコリコリでお酒によく合いドンドンアルコ-ルが進みました。

   カウンターで私たちが先だったのか彼かは忘れてしまいましたが、意気投合していっぱいしゃべったっけ~。カード会社にお勤めで、宗像から博多へ通勤、里は日田とのこと。

   早期退職して里へ帰り、山一杯に桜を植えて、お茶を作って第二の人生の大きくて、大好きな夢をウキウキしながら語ってた。写真、アウトドア、山登り、etc、etc。も大好き。

   愛車,4Wのトランクにはいつでも、どこでもいいところが見つかれば、テ-ブルと椅子を出せるようにつんでた。クロスをかけて、さぁ~お茶しょう!そして何か飲みながら景色を満喫する。

   世には自分に似た人が3人はいるそうです、吉田さんはえかきの母方の父、主人からすると祖父に瓜二つだと驚きを隠せなかった。

石本さん、河野さんもご一緒した雪山、思い出懐かしく、楽しかったことが記憶に残っている。主人、私と彼、実家の人たちとの出会いと別れがありました。とっても温泉好きな友は、素敵なお湯の天然温泉へ九州へ行くたびに案内してもらった。実家から近かった天ヶ瀬温泉、何回いったかしら?いいお湯でした~い。 今でも鮮明に脳裏に残っているのは秋の山へ登ったこと、渓谷、紅葉が言葉では言い表せない美しさ、本人曰く何回も来ているけれどこんなのは初めてと言ってた。
日本画、石の上をぴょんぴょん子供のようにはしゃいでた。
湯布院へも彼の友人の温泉付き別荘へ行ったっけ~ 知り合って間もなく東京への出張帰りに家に一泊され、あれは4月6日とアルバムに記録している。私たちより早く起きて、散歩へ出かけられ、たくさんのセリ-を積んでこられ朝食で食べたような、、、
私と祖父?天国からにらんでいる。
沼隈町の東山にて

 思い出、話は尽きない。次の年のゴ-ルデンウィ-クには日田へお茶づくり体験へ。福山からは子供たちの高校の英語の先生のW00さんとF00さん、リタイヤ-されて島で色々お元気に活動されている。

大勢の人たちの集まりで煎茶づくりを体験させていただき、思い出深く、大切な行事となりました。
茶葉をもむ
混ぜる
炒る茶葉を

鮎釣りも楽しんでおられた

忠司さん、ご両親に先生
茶づくりのあとの楽しみ 何回お邪魔したか数えてないからわからない、でもいつもおみあげにあれやこれやと頂き、実家に帰ったような錯覚をおこし、しあわせ感じました。 個展の帰りとか、私の両親は鹿児島県出身なので、不幸があったときとかに必ずと言っていいほどお邪魔してました。そのどれかの旅で茶を炒るための大きな鉄釜もいただきました。 そうなのです。えかきは茶づくりにハマってしまいやめられなくなった。煎茶に紅茶を作ります。 毎年5月ごろになると茶づくりを始めます。お茶をつくっているえかきはA型だからできると思う、B型の私には無理、不可能です。 吉田忠司さんに知り合って14年間ほどのお付き合いでしたが濃いかった。亡くなられる何日か前に電話をした。今でも耳元でささやかれているように思う時もある。Facebookにアップされているように”今夜もまた長い夜が始まる、汗をとにかくかくのでなんかいも着替えなくてはならない””何か必要なものありますか?、また電話しますね。”が私と忠司さんの最後の会話で、思い出も朧げですが、声がかすれていた? 吉田忠司さんとの出会いと別れのエピソ-ド、、、 後悔していることはまだ家で養生中の頃、主人とお見舞いに行ったとき、今晩泊まってらっしゃいと誘われたのに、日本的考えの、迷惑ではと判断してお暇した。泊まっていたらほんの少しでも彼の人生に色を付けられたかなぁ~なんて今頃思ってます。 人生やらなきゃいけないことなんて、殆どない、ということわざがありますが、忠司さんはそちらで好きなことを? 毎年主人と二人で茶摘みをする、毎回吉田さんの笑顔を感じながらつんでおります。あなたとの出会いに乾杯!最後に主人がfacebookにしてるコメントを 小川 憲一吉田さんは お茶づくりの師匠です お陰で自然栽培の安全で おいしい お茶を毎日いただいております 飲み友達が減って残念です 吉田さんは 4月1日うまれ 死んだの 嘘だよって 出てきそうです。 https://www.facebook.com/yoshida.tadashi.58 そうでした、エイプリルフール生まれ、お祝いの電話をするたびに、嘘でしょう?と冷やかしてた私でした。 主人と同じ1947年生まれ。今えかきは今年最後の煎茶と紅茶を作ってます。吉田さんと過ごした時間がとっても懐かしく感じ、主人と話してます。 出会いあれども必ずわかれもある。最後におまけにお父様とのツ-ショット。
お酒好きだった、焼酎はのまなかったかなぁ~?
小川マリアアイネス拝

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