マリアイネスのこと 人間は必ず死ぬ運命、4歳でこの世を去ったおにいちゃんの人生は短すぎる テレレのおばちゃん 東京の叔父さんの里帰りのおみあげ羊羹を食べる FacebookTwitterLINE 人生はそれぞれ違って当たり前 鹿児島県桐原にて 両親と優二兄ちゃん2歳 母、尾竹家にて中谷 父方のおじいちゃんと松の下盛行 叔父ちゃんとおにいちゃん アルゼンチンに住んでいるきょうだいが家系図を作りたいということで身内情報を日本に住んでいる私に頼んで来た。父方の戸籍謄本を従妹にお願いして取り寄せてもらった。 父は7人きょうだいだと思っていたのですが、10人と知って驚きを隠せない。七人の内お会いできなかったのが一人の叔父ちゃん、長男だと信じてた。父がよくこの叔父ちゃんのことを話してた。お爺ちゃんが弓を引いた瞬間に叔父ちゃんはトイレから出てきて目に当たり失明して、義眼だったと。 後の三人の父のきょうだいは、2日、一年、と3年ほどの寿命だったようです。昔は短命であった理由は医学や科学が発達してなかったから? 何人かの友人に私は化け物扱いされる、永遠に生きると断言する。あり得ない話。「俺が死んだらあ~してこ~して」と頼まれる。嫌ですときっぱり断る、第一どちらが先に逝くかわからないし。とんでもないことをお願いしてくる友人もいる。嫌、いや~とだだこねる。 人生は人それぞれ違って当たり前とは言いますが納得がいかない時もある。 若くして亡くなられる人は、やはり運命なのでしょうか? 鹿児島県の財部で1952年に長男として誕生、親がアルゼンチンへ移住するとのことで3歳で三か月の船旅でブエノスアイレスへ着き、そこからまた1300キロ北へと汽車で向かった。 私が生まれ、三ケ月後には事故死した。思い出は唯一両親が話してたことだけと写真である。特に個人的にはお兄ちゃんとの思いでもなく、寂しさつのります。 母が言ってた、優二は空を飛ぶ飛行機をみ上げては「00ちゃんのとこへ連れてって~」と叫んでたと。 一人で遊び相手はいなく、両親は仕事で忙しく構ってあげられなく、つまらなく、寂しかったのでしょう。 写真は残っている、モノクロ写真ですが、この世に存在した証拠はある。毎年11月28日の命日にはお兄ちゃんの供養をして、大切な兄を偲んでた。 もし生きてたら私はお兄ちゃんと呼べて、こんなに強い性格ではなく、甘えられてしおらしい人間になってた?かも。辰年だったので、今年69歳、2月18日生まれなので。 父は今年の1月に、そして母は14年前にお兄ちゃんのところへ旅立ったので、三人で仲良く語り合い、私たちを見守っているのかしら?一緒にいたときには言えなかった「ありがとう」,あなた達のお陰で今の私はある。 移住先にて1955年 優二にいちゃん ミシオネス、オベラにて ^ 共有:FacebookX
自然栽培は地球を救う? お願いです、通りすがりの天才、貧困を世界から無くしてください 貧困とは? 貧困と言っても、その定義は国や組織によって様々。 UNDP(国連開発計画)では、教育、仕事、食料、保健医療、飲料水...
自然栽培は地球を救う? 弁慶丸船長川西信明(かわにし のぶあき)魅力的で格好いいのである 1970年大阪生まれ、関西大学商学部商学科卒業 中堅住宅メ-カ-に就職. 在籍8年間でセールスコンテスト入賞歴6回. 他メーカ-に競争負けし...
マリアイネスえかきのつま 松ノ下マリアイネスは絵描きの小川憲一とアルゼンチンで知り合い結婚1 パ-ト1 今更言うことでもありませんが、松下幸之助はとっても有名なお方 私は松下ではなく、日本でも珍しい名字、松ノ下実を父親にそして尾竹麗...
マリアイネスえかきのつま 里帰りの折に前歯をインプラントにして、ちょ~後悔するえかきのつま 今頃詳しく調べても遅し 凄く大変だったインプラント治療は思い出したくないのである 自慢げに僕は世界一とは言わなかったけれど、上手で、死ぬま...
小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)のこと 「ヒロシマを絵で語り続けて」、えかき小川憲一豊実youtube初デビュ~ Storytelling for Tomorrow のEmiko Sakakibaraさんが神戸よりわざわざ来られ撮影して下さった 腕組...
マリアイネスのこと あの世へ両親が行ったら里は港から出航時に眺める景色が段々消える様 人生の半分以上日本に住んでいる 生まれ育ちはアルゼンチンだけれど、最近とっても遠い国に思えるのはなぜでしょう? 京都市から帰国してプエルトリ...
小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)のこと そそっかしいえかきつまアルバイトから帰ったらうみとのビアガーデンへ 初めて見る雑誌、そして始めてCafe&gallery うみとさんがこの雑誌に記載されていることを知った アルバイトの後少し用事を...