両親があの世へ行くとき——港を離れる船から見える風景のように

両親は、すでにこの世を旅立っています。

そのときのことを思い返すと、

ひとつの情景が浮かびます。

それは、港を離れる船から見える風景のようなものでした。

両親は、すでにこの世を旅立っています。

母のときは、日本から会いに行き、

きちんと見送ることができました。

志賀高原へえかきのつまの両親と

けれど父のときは、コロナの時期でもあり、

海苔工場でのアルバイトもあって、

会いに行くことができませんでした。

そのことは、今でも少し、心に残っています。

同じ「見送る」ということでも、

こうして違いがあると、

心の中に残るものもまた違ってくるのだと感じます。

村の港から船に乗り、

少しずつ離れていくときの風景。

最初ははっきりと見えていた家や人の姿が、

時間とともに小さくなり、やがて見えなくなっていく。

あのときの別れは、

まるでそんな光景のようでした。

すぐに見えなくなるわけではなく、

ゆっくりと遠ざかっていくような感覚。

別れは突然のようでいて、

少しずつ進んでいくものなのかもしれません。

人がどのように生き、どのように別れを迎えるのかということは、こちらの記事でも綴っています。

遠ざかっていく景色のように、

見えていたものが、少しずつ見えなくなっていく。

けれどそれは、消えてしまうのではなく、

心の中に残り続けるものなのだと思います。

日々の中で感じる想いや記憶については、こちらの記事でも触れています。

🧭まとめ

両親との別れには、

それぞれ違う形がありました。

見送ることができた別れと、

見送ることができなかった別れ。

そのどちらも、今の自分の中に残っています。

遠ざかっていく景色のように——

両親の存在もまた、

見えなくなったあとも、

静かに心の中にあり続けているのだと感じます。


✨

娘を気にかけてくれている父の動画が添付されてきた、自分のある誕生日のである

この動画の父を見ると泣けてきた、えかきのつまも三人の子の親、親になって、親の気持ちがわかること多々ある

Xでフォローしよう

おすすめの記事