しあわせの価値観はそれぞれ違う
母が生存中によく言ってたこと「人間死ぬ瞬間にしかしあわせだったか、ではなかったかはわからない」
で思うのです。母はしあわせだっただろうか?そして父もしあわせだったのだろうかと。
母が息を引き取る瞬間までず~と一緒でした。亡くなる何時間前には息苦しく、病室の窓を開けて~!と叫び,すごく苦しんだ。でも最後はねむるように息絶えた。
父の死に目には突然だったので、会えてない。まだ日にちも浅いからかあの世へ旅立ったとは思えない。アルゼンチンは日本から遠い、地球の真裏はどっちの国かわからないけれども、父は多分日本が恋しいと思ったことは確実にあったことでしょう。 ここを掘れば日本だと子供の頃に言われたことを忘れない。
しあわせって何だろう
それは個々の心の中に存在するような気がする。しあわせも不幸せも自分である程度選べるかもしれない。
自分がほかの人を喜ばせることが出来たら自分がとっても嬉しくなることがしあわせ。
手料理で友人を喜ばせることが出来たらしあわせな気持ちになる。
しあわせとは心が満たされていること、平和な世界で生きられることかしら?
世界の幸福度ランキング
どのように評価されているかは知らないのですが2021年度の一位は四年連続でフィンランドらしい、アルゼンチンは55位、日本は62位、そして153位がアフガニスタン。
フィンランドの人々が幸福を感じる四つのヒントは:
豊かな自然
国土の75%が森林に覆われている。
新鮮でおいしい食事
美食の国として注目されている
水に癒される
18万8000もの湖がある。湖がとても身近な存在。
サウナの文化
世界一有名なフィンランド語のひとつはサウナ。サウナは人々がつながることができる場所として何千年にもわたって愛されている。
汗をたくさんかくことができるサウナは体にも心にもいい。
幸せな国ブータンの真実
何故この国が幸せな国と言われるのか?世界の幸福ランキングには見逃したのか載ってない。
しあわせ~と思えるのは
1-GDP(国内総生産)ではなくGNH(国民総幸福量)
2-足ることによる幸せではなく、当たり前の生活を送れる幸せ
3-幸せの基準は国家ではなく個人。家庭
我々日本人は幸せなのか?
多くの物資に囲まれた生活を豊かだと言う日本。でもいくらお金や物に囲まれていても、精神的な充足、安息、を得られないならしあわせではない。
大切なものを見落としてきているのかも。
お互いを家族のように思いながら助け合って、支えあって生きていたら人間は幸福を感じるのではないでしょうか?
心が満たされ、そして思いやりをもって毎日を過していけたらしあわせになるかも。
有名な心理学者のフランクルが言っている
「幸福は、それを直接的にめざして手に入れるものでない、それは何か他のことを目指した結果なのだ」