アウシュヴィッツ生還者からあなたへ 14歳、私は生きる道を選んだ

Lilianaさんのこの岩波ブックレットNo.1054は Ken Uzukaさんのfacebookの記事を見て、興味をそそられ読みました.

30年間も辛い経験を語るのは並大抵の精神力ではできない.

 

読んでの感想は言葉にして表せないほどの心悲しい、怒り、気持ちの高ぶりともいうのでしょうか?

 

ユダヤ人に生まれただけで差別され、アウシュヴィッツに送られ、死の収客所での壮絶な日々とドイツへの数百キロに及ぶ死の行進をさせられた.

 

何の罪もないままガス室に送られ、年を取ることも、母、父となることも、おばあちゃん、おじいちゃんになることも、あるべきはずの人生を送ることもできず、、、

アウシュヴィッツやヒトラ-に関する映画は多々あるように思います.見たのもあれば、まだのもある.

1- Schindler's List(シンドラ-のリスト)監督はSteven Spielbergの名作(1994)ナチスによるユダヤ人大虐殺から多くの命を救った実在のドイツ人実業家オスカー・シンドラーを描いた名作

ハラハラドキドキしながら見た記憶がある、印象的なのは白黒映画なのに赤い服を着た少女.

2-Sarah's Key (サラの鍵) 監督Jill Pake-Blanner2010年 1940年代、大戦下のパリ。ユダヤ人であるサラの一家は、警察に逮捕される.幼い弟は納戸に残されたまま.

3- La vita e bella (ライフイズビューティフル)1997年 監督Roberto Benigni

Lilianaさんのコメントはこの映画は嫌いではないけれど、監督が描いたような物事が運ぶなんてあり得ないと.

4-Jojo Rabbit (ジョジョ.ラビット)2019年監督Taika Waititi  愛と寛容を描く、笑いと涙のドタバタ風コメディ  次男にすすめられて見た、世代間の違いかあまり印象に残っていない.

5-The pianist on the battlefield(戦場のピアニスト)

2003年 監督 Polanski

戦場を生き抜いた天才ピアニストの奇跡の真実の物語.

6-Sophie’sChoice (ソフィーの選択)1983年監督Alan J.Pakula

ソフィーという母親が幼い息子と娘をつれてナチスの強制収容所に送られて行く途中の話

7-The Boy in the Striped Piyamas (縞模様のパジャマの少年)2008年 監督Mark Harman

子供の無垢な心が運命を変えた、悲劇の物語

8-Son of Saul (サウルの息子)2016年

監督Nemesz Laszlo  凄愴な中、人間が人間であり続けるということは

9-Hitler-The Last 12 Days-(ヒトラ-最期の12日間-)2004年 監督Oliver Hirschbiegel 70年の時を経て明かされる「人間」ヒトラ-

10-Hitler’sforgotten thing (ヒトラ-の忘れ物)2015年 監督 Martin Pieter Zandvrit

軍曹と敵国少年兵の信頼と絆の物語

11-Negaive and affirmative (否定と肯定)2016年監督Mick Jackson  真実の行方を追う衝撃の歴史裁判

12-Hitler is back (帰ってきたヒトラ-)

2015年 監督 David Wnendt  現代にタイムスリップしたヒトラ-が一躍人気者に!?

 

 

大学生の頃に賃貸してた部屋の大家はナチス関係の人だった.

医師のメンゲルは1943年5月からアウシュヴィッツ収容所の軍医を務めた. 収容所に着いたユダヤ人を「働かせる者』と「役に立たない者」に選別し指図する責任者を務めたうえ、囚人を人体実験の材料にした. 特に一卵性のふたごに関心を示し、自らの手でふたごの子どもに残忍な外科手術や薬物を使った実験を続けた.

終戦後は偽名を使って逮捕を逃れ、1949年にはアルゼンチンへ逃亡した. 1979年、ブラジルの海岸で海水浴中に溺死している、67歳であった.

Adolf Eichmannゲシュタポのユダヤ人移送局長官も第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送っている.

 

ナチスの隠れ家❓アルゼンチンのジャングルで発見される、それも私の里の州で?2015年にSan Ignacio にて?

えええ~すぐ近くで、信じられない.

 

NEWS

2015年03月27日 19時11分 JST | 更新 2015年03月27日 19時15分 JST
Ed MazzaThe Huffington Post

ナチスの隠れ家? アルゼンチンのジャングルで発見された廃墟には何が残されていたのか

アルゼンチンのジャングルの奥深くに隠れていたナチスの逃亡者の隠れ家とみられる廃墟を考古学グループが発見した。

廃墟と化した3つの建物はアルゼンチンの北東部ミシオネス州のテユ・クアレ公園でブエノスアイレス大学都市考古学センターの研究者によって発見された。

研究グループのリーダー、ダニエル・シャベルゾン氏は、建物は、人里離れた場所にナチス幹部向けの隠れ家を作る秘密プロジェクトの一部だと思われると述べた。BBCによると、シャベルゾン氏は廃墟はまったく近づくことのできない場所だったという。

「正確な場所を知らなかったら、決して見つけることはできなったでしょう」

隠れ家はパラグアイとの国境から数分の所に位置し、いざという時にはすぐ逃げられるようにできていた。

大学が発表した画像では、廃墟となった石の建物が見える。

地元紙「クラリン」によると、シャベルゾン氏は「それは防御可能で、保護可能な、近づきにくい場所であり、逃亡者が平和に暮らすための場所です。私たちが発見したものはナチスの指導層向けの隠れ家だと思います」と述べた。

ワシントンポストによると、建物のひとつは住居として、もうひとつは貯蔵用、3つ目は見張り用として建てられたとみられる。

ジャングルの隠れ家でナチス硬貨が一つ見つかった。

1938年~1944年に造られたナチス硬貨数枚と、同時期のマイセンの磁器とともに、かぎ十字が少なくともひとつ廃墟の中で見つかった。

シャベルゾン氏は、もっと多くの遺品がジャングルに隠れているかもしれないと述べた。

「遺物の分析に時間がかかるかもしれません」。とシャベルゾン氏はAFPの取材に答えた。「私たちがまだ見つけていない建物もあるかもしれません。たくさんの植物が茂り、奥が深く、研究をするには複雑なエリアです」

隠れ家の建設には大変な労力がかけられたように思われるが、誰もそこに住んだ形跡が見えない。というのも、ヨーロッパから南米に逃亡し、新たに定住するために「ラットライン」と呼ばれた逃走ルートを利用するナチスが数多くおり、ジャングルに隠れる必要がなかったからだ。

ナチスの戦犯たちを保護する手助けをしたアルゼンチンのフアン・ペロン元大統領政権の下、アルゼンチンがとりわけ避難所となった。

1960年、ホロコーストの「設計者」アドルフ・アイヒマンがリカルド・クレメントという名前でブエノスアイレスで暮らしているのをモサド(イスラエルの情報機関)の諜報員が発見した。アイヒマンは強制的にイスラエルに連行されると、裁判にかけられ、1962年に絞首刑となった。

アウシュヴィッツ収容所での野蛮な人体実験を行った医師ヨーゼフ・メンゲレも、一時アルゼンチンに住んでいたといわれている。

セグレさんは無関心と無知にたいしてこのようなことを仰っております.

[無関心はあらゆることの根源です.何かについて選択しなくてはいけない時に、その勇気のない人がいます. もう朝だというのに、目を覚ましてどうするか決めなくてはいけないのに、何もする気のない人です.「まわりのことはどうでもいい」「ニュ-スには興味がない」「世界でどんなことが起きているかなんて、知りたくもない」と.

そしておいしいものを食べ、買い物をして、自分が心地よければそれで十分だと考える人です. そうした人たちは、不正を目にしても、路上で誰かが殺されかかる場面に出くわしても、目をそらして通り過ぎるのでしょう. 世界はもはやそんな感じです. 私にとって大事なのは、あなたの身に降りかかっていることではない. 私は、私のことで手いっぱいなのだ、という風に」

若い人達へのメッセジ-の中で一番気に入ったのが

「前に進むのよ. 自分の足で一歩、また一歩」

 

中村秀明さんがインタビュ-の中で、

悲しいことですが統計によれば日本の若者の死因の第一は自殺です、、、何かメッセジ-がありますか?と聞かれた、セグレさんの返答は

「日本の若い人たちは知らないかもしれませんが、アウシュヴィッツ収容所の周囲には鉄条網が張り巡らされ、そこには高圧電流が流れてました. それに触れれば、すぐ死ぬことが出来ました.死を選ぶのは簡単なことでした.

しかし私たちはなんとか死からのがれることを考え自殺する人はほんのわずかでした.

生きるということは恵みをもたらします. 生きているこいとはすばらしいことです. すべてを失った奴隷の日々が私の人生にありました. 母となり、子どもを育てるとは思いもつかない日々でした. それでも私はいつも生きることを選んできました.そして90歳になった今も生きることを選び続けているのです」

私の悩みなどなんのその、大したことではないように思う.

 

焦心苦慮(しょうしんくりょ)

焦心苦慮とは

色々なことを心配して、あれこれ思いを巡らし悩むこと。

「焦心」は気を病み、悩み苦しむこと。
「苦慮」は苦心して、いろいろと考えること。

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