何故29?
私は何故か29という数字が好き。
辿ると大昔のことになるのです。
小学生の頃住んでいた日本人移住地の小学校が突然閉鎖され、残ってた後の半学期は実家から20kほど離れていたサンアルベルトという小さな村の知り合いの家に下宿しながら、私たちきょうだい三人とその家の子供さん3人と一緒に歩いて近くの小学校へ通った。
あっという間に半年は過ぎ、新学期はもう少し遠い街プエルトリ-コのドイツから援助を受けてたカトリック系の学校へ。
学校へ通うには便利が悪く、寄宿舎に、三つ下の妹と一緒に大勢の同じ立場の生徒たちと寝泊まりや生活を共にする。
寄宿舎の中庭にて、ドレスは母の手製
思い出に残っているのは私の寄宿舎での個人番号、29、そして妹は32.
そのころからなぜかこの29は好きです。
自分の持ち物全部に番号を書いたり,刺繡をしたり、自分とほかの方たちもわかるように記す。
洗濯物を皆を一緒に洗い、アイロンもかけていただきそして自分でタンスに収めるのですが、誰が見てもわかるようにの個人番号。ちょっと兵隊の様?
極端に言えばそうかもしれません。とっても広~い一つの部屋にベットがずらっと並んでおり、皆と一緒に毎日寝起きする。
何人ほどの寄宿生だったのだろうと、確信を持って言えないけれど多分100人近くはいた。
寄宿生の生活は一見縛られて、四面の壁で自由を奪われているよう。好きなことはできない。
そこでのエピソ-ドは語り切れないほど存在するが、かなしかったり、たのしかったり多々あります。公開できない出来事も。。。
でもみんなでの一緒の生活は忘れることはできないし、色々学んだ人生の一コマです。
日本移住地の方たちも私の家と同様に金銭的な余裕はなく、毎月の支払いがままにならず、やさしい尼さんたちは、薪、野菜、フル-ツ等を月謝と寄宿代替わりに親たちは共同で作業をして学校に収めていた。
親たちはそうやって一生懸命に子供たちが教育を受けられるように工夫し、苦労し、頑張って頂いた、なつかしい遠い昔のこと。
親が子供たちの為に頑張っているのを見ると、学校へ行きたくないなどと思う気持ちなど生まれない、登校拒否なんて、とんでもございません。
月日は流れ、私は結婚をして、長男をアルゼンチンで出産、タケルが3歳の頃日本の京都市へ初めて来て、二年後に次男を産む。
この頃の日本では、土曜日、日曜日と祭日は病院では出産はさせなかった、計画出産。今から思えばおもろい。
”いつがいいですか?”と産婦人科医は聞いてくる。え!私はびっくり、陣痛が始まりそして自然に生むのではない。
ゲゲゲの鬼太郎と呼ばれていた私の担当の日赤のお医者さんにいつと聞かれたときに、自分が好きな29日を選んだ。
そして次男は暑い、とっても暑い京都で8月29日に陣痛を人工的にお越し出産した。
日にちは決められても、後は普通分娩でした。男性には死んでは勿論わからないのですが、絶対理解はしていただけない痛みを耐え産みました。
今日もアルバイトへ行くと広い駐車場に車を置く。29番が開いていると私は自然と必ず29を選ぶ。
29は私にとって、大好きな数字だし、その日はとってもしあわせなことが起こると思ってしまう。
人間がしあわせ!と実感するのは本当にシンプルな出来事です。
大事な人が亡くなった時には、ご愁傷様の言葉だけでいい、大変だったねとか、仕事では役に立ってますよと言われることも小さないけれど、大切なしあわせをかみしめられる。
特に年を取ると友人、身内、知り合いから悲しい、うれしい時に共有してくださることはとっても大事でやさしさを感じると心から思う。そして感謝したくなる、ありがとうといいたくなる。私は、もちろん皆様も、無視されることは一番嫌いだろう。
しあわせを表す四字熟語は知っているだけで心がほっこりする、そして言葉に触れるだけでしあわせがやってくる。
「一粒万倍」(いちりゅうまんばい)
「笑門来福」(しょうもんらいふく)