両親は、すでにこの世を旅立っています。
そのときのことを思い返すと、
ひとつの情景が浮かびます。
それは、港を離れる船から見える風景のようなものでした。
両親は、すでにこの世を旅立っています。
母のときは、日本から会いに行き、
きちんと見送ることができました。
けれど父のときは、コロナの時期でもあり、
海苔工場でのアルバイトもあって、
会いに行くことができませんでした。
そのことは、今でも少し、心に残っています。
同じ「見送る」ということでも、
こうして違いがあると、
心の中に残るものもまた違ってくるのだと感じます。
村の港から船に乗り、
少しずつ離れていくときの風景。
最初ははっきりと見えていた家や人の姿が、
時間とともに小さくなり、やがて見えなくなっていく。
あのときの別れは、
まるでそんな光景のようでした。
すぐに見えなくなるわけではなく、
ゆっくりと遠ざかっていくような感覚。
別れは突然のようでいて、
少しずつ進んでいくものなのかもしれません。
人がどのように生き、どのように別れを迎えるのかということは、こちらの記事でも綴っています。
遠ざかっていく景色のように、
見えていたものが、少しずつ見えなくなっていく。
けれどそれは、消えてしまうのではなく、
心の中に残り続けるものなのだと思います。
日々の中で感じる想いや記憶については、こちらの記事でも触れています。
まとめ
両親との別れには、
それぞれ違う形がありました。
見送ることができた別れと、
見送ることができなかった別れ。
そのどちらも、今の自分の中に残っています。
遠ざかっていく景色のように——
両親の存在もまた、
見えなくなったあとも、
静かに心の中にあり続けているのだと感じます。
娘を気にかけてくれている父の動画が添付されてきた、自分のある誕生日のである
この動画の父を見ると泣けてきた、えかきのつまも三人の子の親、親になって、親の気持ちがわかること多々ある