茂谷郁夫さんのことをブログに書こうと決めたのですが、良く、よ-く考えてみるとあまり本人を知らないのに気付く
簡単に言いますとこの経歴の方です
北村悟、右近彰夫、青山恵一、新井俊男、矢田勝、や勿論えかき(小川憲一豊実)の同級生は殆どがいのしし年
今は亡き北村悟さん、えかきのつまがいのしし年の人はと言いかけると
「お前な、猪にも色々おる!」みんなが同じではない
そうなんですね、一言に頑固という意味では共通すると思うのですが、個々が違う
同じ陶芸家の北村悟、右近彰夫、そして茂谷郁夫顔かたちも全然違うし性格もだと感じる
結婚を一回もされなかった右近さんは何でも自分でもできる方でした
えかきのつま、彼に言ったことがある
”何でも自分で出来るので結婚はしたくないのでは?”
「僕もしたいですよ」、と怒り半分込めて言われた
そうなんだ!と思った
独身のまま何年も前にこの世を去りました
優しい方でした、九州へえかきの個展や遊びで行った折にはお世話になりました
で実感したのが一人暮らしが長いと本当にマイペ-スがしみ込んでいると
結婚はやはりお互いが少し我慢しながらではないと長続きはしない?
さて茂助さんは我慢しているのでしょうか?愛するつまに遠慮しながらの毎日でしょうか?、特に最近は、どうでしょうか?
呑みとなると満面な笑顔になる茂助もえかきも、のむことが大切な夢のような
陶芸家にえかきでしょうと妻たちは言いたくなるほど
偶にえかきのつまはアルバイトから帰ってくると、絵とお茶テレレは開店日にもかかわらず二人はしあわせそうに盃を交わしている
玄関から入るなりお酒の匂いがぷんぷんしている、怒る元気もどこかへ去っていく
お帰りなさ~い!の言葉に騙されて
そしてえかきのつまも加わり楽しい時間を過ごす
次回えかきのつまのブログに茂助のこと書いていいですか?と聞いたらいいよと認可を得た
その時
あら?えかきのつまは気づくあまり詳しく陶芸家の事を知らないと
で聞きました、そうだ私よりず~と長いお付き合いの典ちゃんに聴こうっと
そうしたら、茂助は言ったダメ、だめ
彼女は僕のことは知りすぎているので、ですって
知りたい、知りたいと思い早速メ-ルで聞いた
やさしい典ちゃん無口ではないけれど、あまり話して下さらなかった
書いていいかわからないが茂助&明子さんの結婚式にはあきちゃんのお姉さんが便器をプレゼントしたとか
考えても思い出せない,初に茂谷さんに出会った場所とか時期を
絵かきは多分北村悟さんの釜炊きでしょう
もしかしたらえかきのつまは小川久志さんが画廊をされている頃に茂助の作陶展をされた時かもと考えたりしている
逸平がまだ小さかった、今ではもう立派なお父さんになっている
そういえばまだお互いが若く、そして個展を年に何回もしていた頃、大阪でお会いした折にこんなことを話されたことを今でもえかきのつまは忘れないのである
呑むことを愛する茂助沢山御召しになられ階段から転げ落ちたけれども怪我はしなかったと
笑い話ですんでよかった~
まだ沼町が福山市に合併前に市役所で原爆展をして下さった
その時に茂助さんが何人かのお友達、アメリカから帰国してた方や、どなたかの子供さんも一緒に観に来ていただいた
役場の公務員たち、登場してくるそのグル-プに釘付け
大きく目を開きとってもおどろいていた
何故でしょう?多分宇宙人、別世界の人たちを始めて観たから?髪は長く、服装も独特、履物もそれぞれでラフすぎる?
お勤めの方達の角度から見ると別人に映る
その光景を観ながらえかきのつまは笑えて来た
ブログを書き始めたら色々エピソードが脳裏に回想、ここでは書けないことも多々?は嘘ですが
長~い間生きていると色々ありますね
私たちが持っている一部の茂谷郁夫さんの作品たち
茂谷さんはお酒を飲みながらの窯焚き、北村悟さんも酒が大好きな陶芸家でしたが窯焚きの折には禁酒でした
えかきはこの容器で何でも飲むが、えかきのつまは違います
北村さん、作品創りが出来なくなって画廊をされていたところでえかきの作品展
芸術家が生きづらい世の中ですが毎日を大切にそしておしあわせに人生を全うしてくださいますように心より願っております
人生を全うするとは、おおむね「生きているうちに果たしたいことや果たすべきことをやり遂げて、悔いの残らない生き方をする、そして未練なく死ぬ」と言うことのようですが、難しそうでもあり芸術家には簡単なようである
生きて来た証を作品に残せますが、妻たちは、特にえかきのつまはなにも残せないと思う今日この頃である
小川(松ノ下)マリアイネス拝