人はやがて散っていく|友人の死と、えかきの詩「友として死ぬ」から思うこと

友人が亡くなりました。

突然のことに、言葉が追いつかず、

ただ時間だけが過ぎていきました。

そのとき、えかきが書いた「友として死ぬ」という詩が、

静かに心に重なってきました。

友人の死を受け止めきれないまま

人がいなくなるということは、

簡単に受け止められるものではありません。

まだやり取りが続くような気がして、

どこかで会えるような気がして。

現実だけが、少し遅れてやってきます。

「友として死ぬ」という言葉

えかきが書いたその言葉は、

強くもあり、やさしくもありました。

「友として死ぬ」

その響きには、

どこかあたたかさが残っています。

すべてが終わるのではなく、

関わりの中で人生が閉じていくような感覚。

人はやり残しを抱えて生きている

どんな人でも、

すべてをやりきることはできません。

亡くなった友人にも、

きっとやり残したことがあったはずです。

それでも、その人が生きていた時間は、

確かにそこにありました。

人との関わりの中で残るもの

人は一人ではなく、

誰かとの関わりの中で生きています。

一緒に過ごした時間。

交わした言葉。

それらは消えてしまうものではなく、

残り続けていくのだと思います。

写真好きなえかきのつま、栃木や個展で初めてお会いした時の写真が見つからず、卒業アルバムから

人との関係に悩んだときは、こちらの記事でも触れています。

▶人間関係に疲れたあなたへ|職場・家庭・友人関係の悩みをやさしくほどく方法

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まとめ

友人の死を通して、

人はやがて散っていく存在だと改めて感じました。

けれど、えかきの「友として死ぬ」という言葉が、

どこか救いのようにも思えます。

すべてをやりきれなくてもいい。

やり残しがあってもいい。

誰かと関わりながら生きてきたこと。

それが、静かに残っていくのだと思います。

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