高校の校長先生はカトリックのシスタ-
進路を決める時期にシスタ-の道にと誘われたけれどえかきのつまの興味はその世界にはなかった
考えたこともなかった
パラグアイ生まれのシスタ-に言われたことは今でも思い出す
「結婚生活は現在は難しいからと」
反発精神がある今えかきのつまは内心思った
「シスタ-は結婚はしたことがないので分からないのでは」
あるシスタ-が泣いているの見たことがある、そしてその道をなぜか諦めて辞められ、いなくなって寂しい思いをした大昔の事
幼稚園の先生でとっても優しい人で笑顔が素敵だった
風の便りで結婚されたと、、、
高校を卒業後経済的に大学へ行くのは難しく、どの道に進むかはハッキリわかっていなかったので、両親に一年間就職と言われ、英語の先生にすすめられて少しの間は市役所へ
同級生のお兄さんが銀行を辞めるのでどうかと誘われて入社試験を受けて、思い出してみれば色々あった
誰か父と私は共産党員だとでたらめなうわさが、後で知ったことだが街に調査委員が日本人の知り合いに聞いて回っていたとか
支所は政治が関係あるのではと思い銀行へ転職
アルゼンチンのその頃は、新入社員でも有給休暇が14日間
急に背が伸びたのか腰が痛いことが多く、ブエノスアイレスへ休みを利用して病院と大学入学の手続きも
12月には特にクリスマスシ-ズンには皆里へ帰る
ブエノスアイレスからミシオネスまで距離は1300km,あの頃バスで24時間
用事が終わり帰りたいのにバスの切符がなくふてくされていた
ブエノスアイレスに住んでいた友達のマンションでお世話になっていた
クリスマスパ-ティをとあるホテルでlet'goのグル-プが、(商社にお勤めの方や、日本人、日系二世etcで結成していた)、開催
そのパ-ティで出会ったのが今の夫であるえかき小川憲一豊実(おがわけんいちほうじつ)
ブエノスアイレスへ出て、幼稚園の短大大学へ行きながら昼間は丸紅株式会社で勤務
毎晩えかきが大学まで迎えに来て、同級生たちがアルゼンチン式の鵬にキスをしようとすると、後ずさりしてはノ-、ノ-と言ってたのが可笑しかった
同級生たちも一緒に大笑いしては楽しんでいた
毎晩私を迎えに来るたびに、ノ-ノ-!とあとずさりしながらの姿が脳裏に焼き付いている
文化の違いはおもろい
人の縁とは不思議である
自分がまさかえかきと結婚するとは想像もしなかった
個人的には思うやはりえかきの世界は特別、農家で鹿児島からアルゼンチンへ移住た父と比べても全然話にならない程違っていた
父が怒ったことはあまりないが、えかきは瞬間湯沸かし器の様に感情をあらわにする
初めはびっくりしたもんですが、不思議と慣れてくるのである
皆さんにはえかきの印象はとってもいい
ストレスはたまらないのではと思う、言いたいことをいつでも発言して、えかきの同級生とは口喧嘩が発生することが度々である
ある友人が京都時代に家にきていてそんな場面に遭遇して羨ましがってた「自分たちの世代はそこまでは言えない」と
こたつをひっくり返す勢い
一言で言えばえかきの世代はほとんどが頑固で、一ミリ足りても引かない、自分の考えが一番正しいとプライドを持って生きている
妻次第で夫も変わると言いますが、私のせい?
そうは思いたくないえかきのつまである
えかきを続けていけるのはその性格だからと確信を持って言える
妻の意見なんてあってないものと一緒、ず~と画廊や百貨店etcで個展をするたび、絵とお茶テレレの画廊喫茶に作品の展示に対しても何を意見しても無視されている
それでも京都人ですか?とえかきのつま、個人的には落ち着かない
床の間はスッキリが私の好みですが、絵描きの色に染まっている
それなのにつまが怖いと他人に言うの聞いていると呆れるえかきのつまである
したいことをして生きて来た小川憲一豊実はしあわせものだ~
小川(松ノ下)マリアイネス拝