カメラマンはフォトグラファ-ともいう
主に写真を撮影しますが、内容は商業写真とアート写真と二つに分かれます
撮影する対象は、モノを撮影する「物撮り」、人物を撮影する「人物撮り」、自然の風景を収めた「風景写真」がある
それぞれ目的に応じて使い分け、性質によって撮影方法変えたりすることも大事
えかきのつまも写真は大好き、個人的には人物が特に好き、もちろん風景も
けれど頭が下がるのは戦場カメラマンです
命を張って映す
戦場カメラマンとは戦争の現場で写真や映像を撮影し、世界の人たちに戦争の悲劇やそこで生活する人々の声を伝えるジャーナリストです
戦場カメラマンの仕事は
*戦場の最前線で写真や映像を撮影する
*衛星を使って、撮った写真や映像をメディアに届ける
*戦争の現場でインタビューを行う
戦場カメラマンになるきっかけは様々だと思う
日本の戦場カメラマンの渡部陽一は静岡県富士市出身の戦場カメラマン・ジャーナリスト
アフリカのジャングルで戦争に巻き込まれた子どもたちと出会い、その声を届けたいと思ったことが戦場カメラマンになるきっかけだったそう
戦場カメラマンの石川文洋さんは無銭旅行から報道カメラマンになったそう
大学生にとても面白い話をされた記事を拝読させていただきます
”報道カメラマンになろうとは思っていませんでした。世界一周旅行の本やテレビ番組を目にすることがあり、小さいころから「外国に行きたい」という気持ちがありました。今は格安切符があります。当時は海外に行くのはなかなか難しかった。そこで無銭旅行を計画したわけです。沖縄から船に乗り、香港に行きました。帰りの切符は用意していません。沖縄を出たときには27ドルしか持っていませんでした。
香港ではニュース映画の会社に勤めて働きました。1964年8月に米軍の本格介入の契機になった「トンキン湾事件」が起きました。映像会社の仕事の中でドイツのテレビ局の香港特派員と一緒にベトナムへ行きました。戦争をしていました。当時、ベトナム戦争のことはよくわからなかったんです。はじめはムービーを撮っていました。スポンサーがつかないのでスチール写真に替え、ネガをAP通信に売りました。ワンカット15ドルです。安定した収入がなかったため、生活のためにスチールカメラマンになりました。戦場は危ないけれど、良い写真を撮れば売れますからね。日本に戻って会社勤めの生活をするのは嫌だなと思い、それから4年間、ベトナムにとどまりました。
戦場は非常に危なかったですよ。私の記憶では、日本人ジャーナリストは15人死んでいます。このうちの12人は知っていて中でも5人くらいとは一緒にお酒を飲んだりしていました。ほかにも亡くなった人たちには知っている人が多かった。とても寂しいですね。
戦場が危ないことはわかっています。私もそういう体験をしていますから。移動に使った車が、直後に地雷に吹き飛ばされたこともあります。あと5分乗っていたら、今、こうして話はできていない。私も15人の中に入っていたかもしれない。私はフリーのカメラマンだったので、誰かに「行け」と言われて、戦場に行っていたわけではありません。自分の意志で行きました。テレビ局や新聞社の仕事で戦場に行った人が多かった。みんな命をかけて仕事をしていたと思いますよ。
「心」で撮り、「気持ち」を伝える
不器用なのでカメラマンになろうとは思っていませんでした。戦場の写真は技術でなく、心で撮るものです。戦場でけがをしている人を見て「かわいそうだな」と思ったり、爆弾が落とされているところを見ると怒りがわいたり。私は、こうした「気持ち」を大切にします。それを第三者に見てもらい、伝えていく。これが私の思う報道写真のあり方です。
ベトナム戦争が終わってからもほぼ毎年、現地には行っています。当時の戦場には今、高層ビルも建っています。報道カメラマンとして変化を知ること、かつて取材した現場を長く見続けられるのは幸せなことです。”
著名な戦場カメラマン
- キャサリン・ルロイ(Catherine Leroy)
- リンジー・アダリオ(Lynsey Addario)
- エディ・アダムズ(Eddie Adams)
- ケン・ベル(Ken Bell)
- ニール・デイヴィス(Neil Davis)※
- ショーン・フリン(Sean Flynn)※
- アンリ・ユエ(Henri Huet)※
- ジル・カロン(Gilles Caron)※
- ティム・ペイジ(Tim Page)
- ホースト・ファース(Horst Faas)
- フィリップ・ジョーンズ・グリフィス(Philip Jones Griffiths)
- ジョアン・シルヴァ(João Silva)
- ポール・コンロイ(Paul Conroy)
- ※ 職務中に亡くなった人物 wikipediaより 度胸があるから、好きだからか分からないが戦場カメラマンのお陰で色々伝わる
えかきは絵を描いて平和のありがたさや戦争の悲惨さを伝えたいのが信念ではあるが、映像や歌には敵わないとえかきのつまは残念に思うこと度々である
個々で平和の大切さが伝えられたらこの上ない行動であるが...
小川(松ノ下)マリアイネス拝